明治四国の45番以降の同じ大師堂内か、もしくは近くに展開している。
明治四国と区別するために「荏原西国」とした。
東江原村と神代村が1900年(明治33年)に合併して荏原村となった。
2019年11月6日結願 わからなかった札番所(5.6.7.8.15.17.18.28.33番)
明治四国の45番以降の同じ大師堂内か、もしくは近くに展開している。
明治四国と区別するために「荏原西国」とした。
東江原村と神代村が1900年(明治33年)に合併して荏原村となった。
2019年11月6日結願 わからなかった札番所(5.6.7.8.15.17.18.28.33番)
1番 青岸渡寺
平井 宝蔵院境内 明治四国60番81番同じ
2番 金剛宝寺
谷小屋 荏原小学校東 道路沿い 明治58番同じ
3番 粉河寺
祝部 井原線「早雲の里 荏原駅」から東に徒歩5分 墓地 明治45番同じ
4番 施福寺
青木 シーピー化成入り口 信号の西 国道沿い 明治46番同じ
5・6・8番 不明
青木 前方山裾か、青木公民館のある旧山陽道沿いに展開していたと思われる。
不明
青木公民館裏
7番 龍蓋寺
青木 あきや様境内 国道486号沿いの田辺薬局東の急な石段を登る。明治四国48番近く
9番 興福寺
青木 三叉路 道べり 明治四国49番同じ
10番 三室戸寺
米持 米持公民館南西70m 丘の上の墓地 明治四国50番同じ
11番 醍醐寺
米持 両山寺本堂 明治四国78番同じ
高越山
両山寺から見た高越山 前方中央
12番 正法寺
森 下谷川の森奥橋から急斜面を登る 大岩刻早雲供養碑の前 岩に刻まれた雄大な戒名は、戦国にそのなを轟かせた名将・北条早雲を今にしのばせてくれる。
13番 石山寺
森 森公民館裏 明治四国51番同じ
14番 園城寺
華蔵院跡 森から有年に向かう山道の中ほどにある有年加圧ポンプの横(巡礼の道しるべ有り)の竹藪の斜面を約80m登っていく。竹藪が荒れているので進入困難。写真の左側が14番。右の大きいのが明治四国の52番。
15番 不明
写真は森から有年入り口 15番は道路拡張や移転により有年公民館その周辺に合祀されているかもしれません。
有年公民館
有年地区のほぼ中央にあり、周りに三寶神威、燈籠、地神、多くの地蔵菩薩などがある。
16番 清水寺
有年 有年公民館から北へ100m三叉路 明治四国の順路はここから谷小屋へ引き返すが荏原西国は堂西に向かってさらに北上する。
17番18番 不明
有年から堂西までの間にあったと思われる。
19番 行願寺
堂西 北の坊より南150m 民家と畑の間を少し登る。
20番 善峯寺
堂西 北の坊境内 効徳小学校跡 明治四国の79番
21番 穴太寺
大谷 智勝院から山王宮へ行く途中 60m 明治四国の80番となり。
22番 総持寺
大谷 21番近くの墓地入り口 明治四国80番のそば
23番 勝尾寺
大谷 智勝院石段下 明治四国の77番(智勝院内)
24番 中山寺
大谷 三叉路 一本松 明治四国76番と同じ
25番 清水寺
大谷 千手院の下 三叉路 明治四国75番同じ
26番 一乗寺
笹谷 十二新社隣 明治四国83番同じ
観音堂
浪形 観音堂の奥に27番と明治四国の88番がある。
27番 圓教寺
浪形 観音堂の奥 明治四国の結願88番大窪寺 さらに近くの波形コミュニティ広場の岩の上に明治四国の一番霊山寺がある。
28番 不明
井原ゴルフ倶楽部内か周辺と思われる。明治四国の72番もこの辺りと思われる。
29番 松尾寺
尾部 谷小屋へ下る道路沿い 明治四国70番同じ
30番 宝巖寺
高越山山頂付近
高越山(172m)
山頂より東谷 角之池を望む 高越城はかつて蒙古襲来に備えて築かれた山城(現在遺構のみ) 旧山陽道と小田川を望む。眼下の荏原の庄は北条早雲生誕の地。
31番 長命寺
谷小屋 角之池 東谷公民館から荒神社へ登る。明治四国57番同じ
32番 観音正寺
谷小屋 尾部に向かう急カーブの内側。明治四国56番の奥。一番大きな三界萬霊の右側。
33番 不明
谷小屋 荏原観音32番、明治四国56番付近には稲荷神社、荒神社など多く集まっている。ここ谷小屋は江戸時代は代官所が置かれ、荏原の中心地だった。 近くに興業小学校跡がある。