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和源のあれこれ

少し投稿内容をかえて、和源の近況なども投稿して参ります。

 
2023年11月18日(土)
年末の授与品の作成をはじめました。

年末の授与品の作成をはじめました。

12月28日和源では焔祭を開催しますが、その授与品の方位守りを作成中。

写真は刻印中の情景です。

この企画は去年からおこなっており令和4年度は「玄武」で今年は「青龍」つまり4年で四方位の守護ストラップがそろうというもの。

デザインから刻印、そしてパッキングまですべて手作業。

もちろんお清めと入魂のご祈祷も行います。

2023年9月26日(火)
和源神主さんの社務所裏とよろずごと 御幣の調整編。

和源神主さんの社務所裏とよろずごと 御幣の調整編。ほぼ作業動画かもしれません。神主の日常。


令和5年9月19日-和源神主さんの社務所裏とよろずごと-御幣の調整編

神主さんの日常の一つ、年中行事前ということもありますが、その他の霊祭用にも御幣を作りました。
まぁ和源神主さんの社務所裏?よりの通信動画みたいな感じです。

ほぼ作業動画です。

今回の御幣は比較的簡単に作ることのできるものですが、使用頻度はそれなりにあります。

御幣を調整するときに神様へご挨拶そしてお祓いはまず基本です。

さらにいうと用紙は必要な大きさに切った後に、一度お清めと霊力付与をしています。

使用する道具は御神事用ですので他で使うことはありません。


YouTubeの動画アドレスです。
https://youtu.be/WbigLuw6Omg

2023年9月12日(火)
一息のお茶で一服。

一息のお茶で一服。

お饅頭を頂いたので夜のお茶の時間に一服。

作法も気にせず勝って振りでお茶を点てる。

気ままなお茶に一息つけました。

ありがたやありがたや(^o^)

2023年8月19日(土)
草刈りに精を出しています

神事を中心にお勤めをしておりますが、農事も進めております。
先祖より代々農事も大切にしてきました。
しめ縄やお供え物一つにとっても、できるだけ自分の手が関わったもの、もしくは地のものをお供えしたい。
そんな気持ちも込めながら・・・。

夏は流石に暑いです。
ですので日の出くらいに起き出し準備して、朝の時間を使って草刈りです。

2023年7月22日(土)
月二回の土曜日浄霊浄化祭。

月二回の土曜日浄霊浄化祭。
        
 火曜日と金曜日もほぼ全開催していますが、何故多く開催するのでしょうか。
 理由はもちろんあります。
 個人だけでは無く浄霊浄化祭が延いては個人だけでは無く、地域そして国の皆様のために繋がっているからです。
 一人参拝されお祈りされたとしましょう。
 確かに物理的には一人ですが、霊体としては多々おられます。
 その方の前世での関係ある方、一族として関係ある方、生活の中で憑いてきておられる御霊さんなど。
 浄霊浄化祭は滞っている霊波を修正して、霊的なめぐりを正してゆくものです。
 迷っている御霊さんも正しく幽世に導きます。
 たとえば川の川上が汚くなっていれば川下も汚いですよね。
 霊的な事は川上に例えることが出来、そこのめぐりを正してあげることで川下も浄化されてゆきます。
 個人として考えれば川上は過去および霊的な部分、川下は未来と考えることが出来ます。
 運命は本人の知らないうちに用意されているとも言われるように、日頃の行いや判断によって未来が決定されます。
 霊的な浄化を行って川上を浄化し未来を美しくしたいものです。

2023年5月3日(水)
波動断層?境界?与太話そんな界隈の閑話

波動断層?境界?与太話そんな界隈の閑話


苗箱に土入れ作業中の閑話。。。

手伝ってくれている方の話、親戚の家を一部リフォームするという発端から発展。

怪異現象がいきなり出始めたので見てほしいという依頼が、過去にいくつもあった。

その中で二〜三度遭遇した同種の話。


依頼者の家に入り問題の場所に行く。

確かに霊が好みそうな雰囲気。

ただ好みそうな雰囲気というだけで決めつけるのはナンセンス。

その場所を歩き回り波動を感じとって探査したり、他の部屋を拝見させていただいたり。

そのついでに家相をみたりご家族の生年月日からの占いを重ねてみたりと複数の方面から因果を探り出す。

怪異現象の場合は確かに霊感に比重を置くけれども、決してそれだけでは見落としがあると思う。

さらにいうと区画工事や近くに建った建物や施設などが、霊道や地脈を乱すことがある。


いずれの方面からも決定的な原因には感じなかった。

しかしその問題の場所はその他の場所に比べて真新しく、リフォームしたのでは無いかもしそうならいつ頃手がけたかを聞いた。

怪異現象が出始めた三ヶ月位前にリフォームしたということだ。

さらに念入りに波動を探査する。

するととある場所?一定の場所から断層のような境界を感じる。

波動が著しく違うと波動が断層のように感じることがあり、その波動断層から幽界や特定の霊界に繋がる境界となっている場合がある。

何でも無い場所に急に幽界の扉があるような感じだ。

そこでこの場所の床下に何か置きましたか?と、依頼者に聞いてみる。

そうすると「よく相談をしている霊能者さんの指導で貴石を結構な量を床下に入れました」と。

なるほどなるほど。。。


そういえば一昔前にとある霊能者さんから

「運勢改善には質の良い水晶や貴石を依頼者の財布が許せる範囲でできるかぎり用意して敷き詰めて、さらに丸玉やピラミッド型を六芒星に配置して、床下にはいちすれば大きな改善が見えてきますよ」

と、言われたことがあったなと思いだし、

「床下に入れてある貴石の量を半分ぐらいにして、様子を見てもらえませんか?、もし固めて山のようになっているようであれば崩してできる限り広く配置し直してみてください。」

もちろんその霊能者を信じていらっしゃると感じたのでもう少し迂遠に、補足するような言い方で伝えたと記憶しています。

霊を子供が怖がるからということで、霊符(御札)が欲しいということで霊符開眼後、授与させていただき依頼者の家から帰りました。

和源の言葉を信じてくださったようで、近日に家族総出で床下の貴石を半分くらいにして、バラバラにしたところ、10日くらいたった頃から問題の場所の雰囲気が和らいできて、今では怪異現象が見れなくなったと連絡を頂きました。


この話に出てきた霊能者さんたちの考え方が間違っているとは思っていませんが、その場所の地力や波動を考慮するのも一つの知恵では無いかと思うところです。

場所場所によっての最大値を予測してほどよさを導き出す、劇的な波動を感じることは少ないかもしれませんが、暖かい空気感になった位が無理の無いのではと和源は考えています。


そんな閑話を農作業の合間にしておりました。

2023年3月21日(火)
和源神主さんの祈祷メシ5

和源神主さんの祈祷メシ5

春分の日、和源では年中行事「供養祭」の祭礼日。

というわけで祈祷メシです。

投稿していないだけで、かなりの頻度でこういう食事。

今日は瞬発力?のために白米。

日頃は玄米食。

2023年3月19日(日)
厳しめ?の弟子への指導はいつまで続けることが出来るのか・・・

厳しめ?の弟子への指導はいつまで続けることが出来るのか・・・


普通?学生やお勤めをしている人にとって和源の指導は厳しいのだろうか?と、ふと思うことがあるが・・・

厳しいにはちゃんとした理由がある。


和源の弟子で修行をしていっているならば、部分的にせよ霊的なことに関わることが可能性としてある。

霊的な世界は現実世界と違って、心に作用する場合が多い。

霊の多くは何らかの思いを持ち続けている訳で、生きている人の思いや欲望にも感応することがあるような波長の場所。

物理世界であれば関係の薄い人とは適当な距離感や話題を合わせておけば済むことが多い。

が、しかしいざそういう世界に足を踏み入れると、もろに心のせめぎ合いにさらされることがある。

心のせめぎ合いが直接的に感応し合う場合もある。

そういう状況に出会ったとき、上手に人付き合いをしていると思っているほど、霊など相手の感情に影響を受けやすい。

自らの目が裏返って自分を見たとき仰天する。

仰天するだけで終われば御の字で、霊や他者に感応しもろに影響をうけると、さあどうなるのか想像していただければと思う。


つまり何が言いたいのかというと、厳しく指導する中に自分を見つめ直してゆく行程を説明しており自己観察を進めることが大事と。

自己肯定をするでも無く否定するでもない、自分を知ろうとする目的。


人は優しい環境では自己観察も甘いものになりやすい。

厳しい状況になってそのときにどのように行動するのか、それを自分で観察すること。

自己観察中にしてはいけないことは、弁解を自分にしてしまうこと。

ありのままの自分をできる限り観察する、これが大事。


対霊的な世界を一旦目標に据えているが、実生活にもいかせる部分があるのではないかと思う。


一番最初に書いたが、厳しいのは受けが悪いようで耐えれて自己研鑽できることは少ない。

もちろん修行前にちゃんと説明しているのだが、それを忘れて逆ギレする人も居る。


核心的なことを伝えることをせず、額面的なことのみ教えてゆけば良いのだろうかと思うこともある。





2023年3月16日(木)
閉じ師?現実にそれを職業にしている人たちがいるらしい?

閉じ師?現実にそれを職業にしている人たちがいるらしい?

すずめの戸締まりという映画で聞けるようになった閉じ師と言う言葉。
※それ以前からあったのかもしれないが認識していないだけかもしれません。
その映画自体はまだ見てないのでよくわからないのだけれども・・・。

境界?幽界と現世の曖昧になっている空間や場所を遮断したり壊したりするそういう仕事をする人達が居るらしいと耳にした。
深く調べをしていないので不明な点が多いが、そういう分野の仕事はあるだろうなと思う反面、なんだかなぁと感じる部分もある。


幽界と顕界の接点が曖昧な場所は、そこを見る様に見るのではなく、全体を俯瞰するような視線で見るとなんとなく断層ぽいものが見えてくることがある。

そういう場所に近づくと場合により頭痛やめまい、または引っ張られるような感覚を感じることがある。

さらに霊視をすれば霊が留まっていたりこちら側をのぞき込んでいるように見えることもある。

場所によって有り様は様々なので一概には言えないのだけれども。


そういう幽界と顕界の曖昧な場所は、人にとって危険を呼び寄せる場合もあります。

状況によっては依頼人がなくても幽界と顕界の戸締まり対応することがあります。

それに対応した霊符や波動調整物そして加持祈祷の方法がありますのでそれらを使用してという感じです。
ただ全くしらない人前でという場合もありますので、動作や言葉はほぼ解らないような立っているだけのように他者からは見えるはずです。
※霊符(御札)や波動調整物は不法投棄と見られてはいけないので、善意で行う場合は使用しないようにしています。

こういったことは祖父やお師匠さんも状況が許せる範囲で行っていたのをみてきたのもあり、その道の人たち(神主や修験者)が当たり前にするものと思っていた。

近頃はいろんな事があるものだと不思議な感じに思う。

2023年2月13日(月)
霊的体験を振り返って

事務を執りつつ今朝の霊的体験を振り返っています。
 
 霊的体験と一口に言っても様々あるのですが、この度は睡眠中に御霊さんや悪霊がやってきて干渉しようとする体験です。
 
 これはある程度の霊的体験をしたかたでなくては理解いただけない種類のものですが、あえて書いてゆこうかと思います。
 
 霊的体験をすることが凄いとは全く言いませんし、かえってそういうものから遠い方が平和です。
 
 御霊さんや悪霊が干渉しにやってきた場合さあどうするのが良いのでしょうか?。
 
 精神的に勢いのある方ならば九字を切ったり、はね除ける呪文を唱えるのが良いといわれます。
 
 それも一つの手です。
 
 が、霊的干渉の時は記憶力や判断力が(私の場合そもそも睡眠中に干渉しにやってくることが多い)極端に低下している状況が多く、手元にある手段が極端に少ないのです。
 
 そんなとき慌てると相手側の思うつぼです。
 
 一旦おちついてみると神々や手を差し伸べてくれる存在に気づきます。
 
 その存在に意識的にですが手を伸ばす、そうすることでほぼ霊的干渉は出口に向かいます。
 
 
 余談ですが霊視によって悪霊?というのが正確なのか解りませんが、かんじ絡めになって悲痛な状況になっている霊の方がおられますが、おそらく生前に「物を命あるもの」として扱わなかったとか、先祖を軽んじたか、神々の存在を無視したなどによって魂や心が孤立してしまった方の末路かと感じています。
 

2022年9月23日(金)
秋分の供養祭を祭行いたしました。

 天候が少し心配されたものの、当日は曇天で強い日差しも無く祭礼には好適の日取りでした。

 数日前から和源では不思議なことが起こっていました。

 御神殿に近い場所に蛙、蛇、その他爬虫類などが同じ場所にお供えしてあるのです。

 当初お供えとは思わずただ蛙が死んでいる位にしか思わなかったのですが、同じ場所に次々に置いてあるのです。

 もちろん人間がそれら爬虫類を捕獲しているようにはどうにも思えません。

 何かの動物が置いたのでしょうが、あまりにも同じ箇所、そしてお供え物の頭の方向が御神殿に向いているのです。

 
 そういう前日談(当日の朝にも)があり祭礼に臨んだのですが、祭礼前には非常に霊障の思い感覚が走りかなりの集中力を要しました。

 ただそういう感覚の重さも儀式が遂行されるにつれ軽く明るい感覚が出てきます。

 極めつけは供養周りの折り返し地点、御霊さんのお見送りの箇所において後方より風のような沢山の方々の雰囲気が通り過ぎて行くのです。

 その後、視界も体的にも軽くなりご供養の詰めをお祈りいたしました。


 皆様のご供養を恙なくお祈りさせていただきました。

2022年9月17日(土)
土曜日の浄霊浄化祭(月二回程度)

土曜日の浄霊浄化祭(月二回程度)

一般お参りの方がいらっしゃらなかったので神主三人によってお祈り。

あわせて護国のお祈りもいたします。

静かに祈り続けます。

2022年9月15日(木)
元伊勢参り

元伊勢参り

用事のあいまに時間を取ってのお参り。

昔からよくお参りしているお宮ですが何時も凜として、その雰囲気は初心を思い出させてくれます。

用事&神事の旅その1

2022年9月8日(木)
傍目から見るとたいしたことが無いように

剣祓えをお勤めしたとき剣筋や体幹が乱れていると感じて、確認練習をしました。
 
 傍目から見るとたいしたことが無いように見えますが、わかりにくいぶれを修正して行くことが大事なところ。
 
 確認練習では型を早く動作したり、ゆっくり動作して確認して行きます。
 
 いくらか行っていると悪さをしている癖が見えてくるので修正をします。
 
 こういう確認作業がそれぞれの技術の保存につながります。

 
 少し話はずれますが、日本神道は日本の文化の結晶であると考えることができます。
 
 自己の技術のぶれに気付くことが大切なことですし、そういう姿勢を維持して行く継続力も文化の根底であると思います。
 
 通り一遍のかたちを次世代に渡すのでは無く、ぶれの修正をして行き続ける姿勢、そういう部分を含め継承して行くことが大事なのではと思うところです。
 
 自己のぶれに気付くこと、現代社会の問題の根底の一つにこういった部分の軽視があるのでは無いか。
 
 文化の軽視が引き起こす本質の喪失が深刻なのでは無かろうか。

2022年9月7日(水)
剣筋や体幹が安定しないと感じたので剣祓えの確認練習をしてみた

剣筋や体幹が安定しないと感じたので剣祓えの確認練習をしてみた。

※剣祓えの型なので剣術の型云々はあまり気にしないでください。


今日は簡単な(時間的に短くて良いという意味で)遠隔祈祷があったので終了後、確認練習をしみてた。

装束を身につけているので太刀、なので抜刀は抜き打ちが基本。

和源の剣祓えはどちらかというと剣で祓うのでは無く、祈りを安定できるようにと狙う部分が多いです。
もちろん祓うという意味もありますが、安定させるという考え方がやりやすいです。
※この部分に関しては諸説や流派または術者の思考や意見が多いので絶対とはいいません。


剣祓えをやっていくと使用する太刀や刀によって「祓え」がしやすいものと「安定」させるのが得意なものとが有るように感じます。

大げさに言うと「破敵」と「護国」のような性格でもあるのでしょうか。

身につけていると落ち着いて安心できる刀や太刀もありますし。

2022年9月1日(木)
「朝拝の風景」

和源神社(屋内社)および金峯神社遥拝所
「朝拝の風景」

秘伝部分は公開できないので割愛しております。

初めての朝拝動画ですので端折っている箇所があります。

下記のアドレスをクリックするとYouTubeのページへ飛び閲覧することができます。
https://youtu.be/QwhKIFJbOC4

2022年8月19日(金)
参拝者の居ない日こそ

参拝者の居ない日こそ、

秘伝の試しに絶好です。

毎週火曜日、金曜日、月二回土曜日は浄霊浄化祭。

その浄霊浄化祭の基幹部の一つである「幽魂安鎮秘辞」

昔、古神道家の小林○元先生が秘伝部分の伏せ字抜きの状態でセミナーに参加した人に配っていたようなので、知っている人は知っている祝詞。

応顕は読んで字のごとしなのだが、一般流布している状態のものと、完全版との違いを数年かけて実践。

参拝者のあるとき(ある程度の霊障以下の場合)は一般流布の形態で、参拝者のいらっしゃらない日は完全版を使用。

参拝者のいらっしゃらないときは、近日の霊波の残りを浄化する目的でいます。

実際に数年間やってみての感覚をいうと、やはり処理量といいますか効率が違う。

もちろん完全版の方が良いという結論。

秘伝だからとか書き付け伏せ字の伝だからといって盲信するのではなく実際に実験してみることも大事だと思う。

あと補足でいうと「幽魂安鎮秘辞」には別物に見える「後章」があるが、これを使用するともちろんさらに良いと感じる。

2022年8月12日(金)
玄府奇祝言(かみのみかどのくしいわいごと)

玄府奇祝言(かみのみかどのくしいわいごと)という秘言を実習しはじめて数年。

はじめは実験からというくらいの気持ちで始めたもの。
※実験といっても秘伝の類いなので一年以上の実践と研究はします。

玄府奇祝言(かみのみかどのくしいわいごと)は幽府通気の秘言と伝えられていて実習して深めて行けば、かなりのベースとなる言葉。

いくつかを選んで修練してゆくのですが、次第に目指す世界を感じやすくなっていくのが実感します。

こういうことは理屈では無いので説明が難しいのですが、目に見えない世界を信じる方には神仙界とかそういう世界があるのだと思って頂ければと思います。


○写真は修練後に気を緩めるために近所まで散歩したときのものです。

2022年8月5日(金)
定例の浄霊浄化祭の様子

定例の浄霊浄化祭の様子。


本日はお参りの方はいらっしゃらず神主だけのお祈りでした。
お参りの方がいらっしゃる、いらっしゃらないのは関係なく定例開催しています。

お参りの無いときは近日の様々な穢れの浄化を祈ったり、無縁の御霊さんのためにお祈りをいたします。

そうしていると誰も来ていないはずの引き戸を開く音が聞こえたような気になるのは、御霊さんがお祈りにやってきているのでしょうか。

そういう気配を感じたとき、殿内はより静かで暖かい雰囲気になるのが不思議です。

2022年7月29日(金)
ときおり感覚的に

 ときおり感覚的にぶれを少なくするため朝食を抜いてお茶のみという風にすることがあります。
 満腹感があると皆様もご存じのように注意力散漫になるからです。
 一見簡単そうに行っている浄霊浄化祭ですが、繰り返しお祈りする祷り込みの場面で皆様の穢れや御霊さんにたいして祈り、そして時として語りかけることがあります。
 語りかけるといっても言語を用いての会話では無く、祈りと念話をあわせたようなものと考えて頂ければ良いでしょう。
 それをし続けるのはかなりの集中力が必要となりますので、調子によって様々段取りを変えて準備するのが朝の日課となります。

2022年2月28日(月)
御幣と四垂切りのお稽古いたしました。

御幣と四垂切りのお稽古いたしました。

 新神主さん講習および御幣切りの基礎的なお稽古をしました。

 和源には30種類程度の御幣の形がありますが、特殊なものが多くある程度手慣れていないと上手くできません。
 そこで基礎的な練習として汎用的な四垂切りの制作とお稽古をかねて行います。

 もちろん用いる用紙はお清めを済ませたものですし、御幣調整前の修法(お祈り)も欠かせません。

 そんな風景です。

2021年12月15日(水)
本日、金峯神社大祭を祭行致しました

本日、金峯神社大祭を祭行致しました。

ここ数年は寒さも厳しく金峯神社に向かう道中大変だったのですが、比較的暖かく移動が楽にできて大祭に集中できました。

お祈りが深くなって行くごとに炎が舞って神楽をして焔の色彩が深くなって行くことがありました。
そんな姿の中に瞬間神々の姿を垣間見ることがあります。

その神々の姿を心にとめて深く深く祈るのです。
国家鎮護国体安寧を併せてお祈りさせて頂きました。

ちなみに私の解釈では国体とは日本民族皆のことであり皆様の安寧のことです。

2021年10月23日(土)
そんな空の下では道具類の手入れを

 和源の里の朝は青色に広がり秋の雲がぽつりぽつりと浮かんでいます。

 そんな空の下では道具類の手入れをしようと先ずは雑事を片付けています。
 
 道具類といっても繊細なものが多く、湿度を嫌うものがあります。
 
 湿度の低くなったこの頃に行っています。
 
 ただすべてがうまくいくわけでは無いので時折様子を見つつお手入れをすることにしています。
 
 こういったお道具は人間よりもずっと年上で、色々な時代や場面を見てきていると感じます。
 
 お手入れ中にはそういった時代を超えた彼方へ思いをはせながら触れるととても深い感慨と共にあることができます。

2021年6月26日(土)
茅の輪を作りました。

茅の輪を作りました。

水無月の晦日は年中行事の大祓。
そんな水無月の大祓の授与品の中心に、神主と巫女さんおよび奉賛の方の手作り茅の輪を。
早朝にその土地の神々にご挨拶をしてから、茅を刈りいれます。
その後、丹念に一つづつ茅の輪を作って行きます。

年中行事の授与品の中でも人気があり、一年間、車や家の玄関などに飾り付けてお守りにしておられる方も多いとか。

そんな話を聞けば神主巫女さんも励みになります。

2021年5月21日(金)
 とくに悪さをするような

 和源の里の朝は雨模様でしたがすっかり雨も止み日差しが回復してきました。
 そんな空の下で定例の浄霊浄化祭をお勤めいたしました。
 お参りに来られる方は少なかったのですが、物理的でない方々は非常に多く人の気配が多々あり賑やかな空気です。
 とくに悪さをするような御霊さんもおられず皆様静かに浄霊浄化祭をお勤めし、自分の穢れの浄化を願いお祈りされておられるのでしょう。
 御霊さんも高度な段階に達している方は、自分の状態がわかるようでさらに上を目指して浄化を願っておられるようです。
 儀式の終わり頃にはなんとなく感謝の言葉が聞こえたかと思うと、人の気配が急に無くなりました。
 
 こんなことが時折、和源ではおこります。

2021年5月5日(水)
鎧兜一式

 節句でもあることから鎧兜一式を取り出して飾り立ててゆくと、鎧がなにやら嬉しそうな気配を漂わせています。
 お昼の修法はコロナ過ということもあり静かに節句のお祝いを含めて行う予定です。
 
 鎧は皆様の目に触れても良いものを飾り立てており、札(さね、鎧の部品の場合はさねと呼びます)比較的軽いので不注意で倒れても怪我の少ないものにしています。

2021年5月1日(土)
特別織りの指貫

特別織りの指貫、八年がかりで仕立て上がりました。

八年がかりと言っても発注してから八年かかったという意味ではなくて、購入貯蓄をして後もう少しというところで散財と言うことを繰り返して、計画始動より八年かかったと言うことです。

しかし諦めずに進めてゆくとできるものだなと、この八年を振り返って思い出します。

できるならばもう少し有職故実の勉強をして端から見えにくい(見えない場所)にも少しだけこだわれると良いなと思うところです。

2021年4月17日(土)
金峯神社にて特別修法(加持祈祷

金峯神社にて特別修法(加持祈祷)

とある理由により特別修法(特別な加持祈祷)を祭行しました。

とある理由は祈願者の個人情報ですので開陳できませんが、何度となく炎の中に沢山のお姿が見えました。

写真が煙っているのは密室で炎が燃え上がり煙っているからです。

2021年3月26日(金)
和源神主さんの祈祷メシ3

和源神主さんの祈祷メシ3

 一週間に4〜5日平均で玄米菜食を中心とした食事としております。

 お付き合いの関係や肉体維持の関係から完全な玄米菜食にはしていません。

 が、それでも十分に感覚が鋭敏になることがあります。

 玄米菜食をできる限りと決意したのもいくつかの理由があります。

 祈祷などの日常的なお勤めの段階を上げてゆきたいと言うこともあるのですが、さらなるものがあります。

 それは国体護持の祈祷を進めてゆく中で、私などが言うのもはばかられることなのですが、今上陛下の御霊が先の帝よりも大きいのではないかと感じるところ。

 さらにいえば御霊が大きいと言うことは、国の御霊との融合に時間がかかるのではないかと霊感します。

 私のつたない霊感によりますと大嘗祭からやく五年ばかりかかるのではと見ています。
 
 そのごもお力を出されるのに些かの時間がかかるのではないかと見ています。
 
 国家鎮護および国体護持のお祈りを通して今上陛下の微力ながらでもお力になれれば良い、さらにいえばこの国の平安と弥栄の祈りを捧げたいと思いました。
 
 その自力をあげるためにできる限りの玄米菜食と半日断食を組み合わせて実践してみることにしました。
 

※今上陛下と書きましたがほんらいは今上とだけ書くのが良いのではと思いますが、わかりにくいかもと思い陛下をつけて表記しました。
 

2021年3月20日(土)
春分の供養祭を祭行いたしました。

 春分の供養祭を祭行いたしました。

 春分秋分は昼と夜の時間が同じになる貴重な日。
 その日は昔から幽世がこの世に一番近い日とされてきました。
 少し感受性の高い人ならば、実際にそれらを肌身で感じることもあるでしょう。
 
 そんな日に有縁無縁の御霊さんたちのご供養をお祈りしております。
 
 準備を開始し始める段階から、いえ正確には数日前から多くの御霊さんの集まってこられている気配を感じており、日取りが近づくにつれそれは多くなってくるものです。
 
 確かに霊波を感じるとヒヤリとすることがありますが、それはあちらの方々に多く知れ渡っていっているということで栄誉なことと感じております。
 
 そのような日常と少し違う感覚の中を通って迎える当日なのですが、それ故に準備にも一つ一つ丁寧に扱うことを心がけています。
 
 そういう外からは見えない心遣いが、ご供養のお祈りをさらに暖めてくれると信じつつ作務を続けます。
 
 儀式が始まるとさらに殿内や庭上は一風変わった異世界の空気となります。
 
 その空気感も儀式が進めば緩んで、供養の最高潮で驚くほどすっと軽く感じました。
 
 空気感が軽くなるほどに嬉しげな気持ちが沸いて不思議です。
 
 

2021年2月18日(木)
そんな空の下では

 和源の里の朝はうっすらと雪が積もりこのままの気温かと思いましたがやがて青空が広がることとなりました。
 そんな空の下では、ある程度の完成度に収めたいなと思っている事への基礎資料作りと、手が空いたときや止ったときにはとある練習をしようと思っています。
 
 まだ明かすことはしませんが、ある程度の完成度を目指しているものは基礎となる物は十分あるのですが、すぐに使える資料が少なく自作しないといけません。
 
 この基礎資料作りの精度でその後のやりやすさが段違いですから、今手を抜いて行くわけにもいかないのでなかなかもどかしいところです。
 
 そんな地味な作業を繰り返しているところですが、どうしても進まなくなったら気分を変えて音楽動画の制作をしようと思います。

2021年2月6日(土)
御幣調整の風景

御幣調整の風景

 祭礼や特別な祈祷のために特殊な御幣を調整しています。

 軽儀の祈祷ではあまり見かけることは少ないですが、ある程度のご祈祷の内容からは特殊な御幣を使用します。

 この御幣は確り50日以上お清めをした後に御幣として調整してゆきます。

 お清めの方法は秘伝となっておりますのでここでは詳しく述べませんが、できる限り気を抜かずに清めてゆきます。

 御幣の調整では、浄衣または狩衣(白)や格衣または白張(上衣のみ)を纏って行います。
 装束が違うのは、御幣の使用目的が違うためで、ある程度軽い儀式であれば白張や格衣を用いて、重儀であれば浄衣や狩衣を身につけます。

 拝礼の後祝詞を唱え、心身共に準備を進めてた後に御幣の調整を行います。

 写真ではカッターを使用していますが、このカッターや替え刃は御幣の調整以外では使用しないものです。
 さらにいいますと、こちらも50日以上のお清めの祈祷をした後のものを使用しています。

2021年2月3日(水)
和源の里の朝は

 和源の里の朝はほどよく雲が空に並び、寒い中にものんびりした模様が漂っています。
 
 そんな空の下では寒さに耐えて花を咲かせ続けている椿、つぼみで時期を待つ蝋梅、小さく開く蒲公英(たんぽぽ)がこの季節を物語っています。
 
 そんな花々と同じように祭具や装束のお手入れをしています。

 例えば20年程前に仕立てていただいた「狩衣(かりぎぬ)」は、年月が経ち当初は強かった色が穏やかになり、とても良い色合いを見せています。
 が、大切に使い続けている狩衣(平安時代からの着物)ですから所々仕立てが弱くなっていることがあります。
 
 それを場所によっては補強の当て布を充てつつ補修縫いをしていきます。
 
 そのように補修をしたり、着こなしのレベルを上げたり、保管に気をつけることでまだこの先も長いこと共にあり続けることでしょう。
 
 すべてではありませんが、装束は神主の心ばえを如実に現わしていると思っています。
 
 

2021年1月16日(土)
和源神主さんの祈祷メシ

和源神主さんの祈祷メシ

 祈祷や祭礼の前には精進潔斎をしますが、本日の和源は軽儀での潔斎。

 和源では大体三段階くらいの精進潔斎を行っています。

 祈祷前の食事を気をつけたりします。

 場合により案件的に重たい祈祷や重要な祭礼では数日前から精進潔斎に入ります。
 
 そんなの関係ないと思うかもしれませんが、深く祈祷や祈りの技を深めてゆくと食べ物によって大きく違うものです。

 まださらに祈りの技を深めてゆきたいと思う和源の今日この頃です。

2021年1月3日(日)
新年の

新年の初参り

 信敬の方々がお参りに来られ、新年のご祈願およびぜんざいを皆でいただきました。

 一年の計は元旦にありと申しますが、この一年で何がしたいのか定めて神々のご加護を願うのは最良の出足かと思います。

 あとは諦めず努力することで、たぐり寄せる未来があります。

 本日のご祈願を辛いときには思い出し乗り越えてゆくことが鍵の一つとなることでしょう。

 神々は努力無き者にご加護は与えないといわれています。
 
 本物のご加護とまがい物の違いは永続性にあると古くからいわれています。

 まがい物は長く続かない短いものと考えれば良いでしょう。

 目標を定め「神々のご加護」「自己の努力」「人の引き立て」この三つを練り込み昇華し次のステップに進み続けることが大事なのではないかと思います。

2021年1月1日(金)
新年明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。

本年度もどうぞよろしくお願いいたします。

旧年中からの引き続きでコロナ過が猛威を振るっておりますが、気を確りもって心を前向きにすることで身体も前向きな力を発揮することがあります。

最悪だというときこそ、すでに運の一番低いところに到達しているのですから、後はじわじわと上昇。

運と現象は少しずれて現れますので、そのことを念頭に置きつつ辛抱努力を続けることが肝要かと存じます。

明日に希望を持ち続けること。

永遠の暗闇は存在しないのですから。

2020年12月29日(火)
12月28日に師走の焔祭を祭行しました。

12月28日に師走の焔祭を祭行しました。

 前日の夜より降り始めた雨足に不安を覚えつつおりましたが、朝になると雨は止みかえって晴天となりました。
 一時は雲一つない深い青色の空。

 そんな空の下、庭上での師走の焔祭を祭行しました。

 拝礼、修祓、献饌と続いて焔の儀と無事に進めてゆくその区切り事に呼応したかのような風が吹きました。
 その風は炊き上がる炎が天蓋の御幣を舐めて燃やそうとする勢いの時に、渦を巻いて炎をずらしてしまいました。

 なんとも不思議な炎と風の舞を見るようでした。
 
 その後は炎は優しさをたたえたかのような燃え方をし続け、参拝の方々の御焚串(神道護摩木)投入もやりやすく安全でした。

 そのような祭礼の風景でした。
 

2020年12月19日(土)
しめ縄制作をしました。

しめ縄制作をしました。

 稲の刈り入れで別にとっておいた稲藁を、熊手ですがいて雑味を取ってゆくところから始まります。
 この処理をちゃんとしておかないと、しめ縄に綯っていったときにとても荒々しい仕上がりとなってゆきますので、前処理を丁寧にしておかねばなりません。

 そうしてすがき終わった藁を整えて束にしてゆきます。

 つぎに神々にご挨拶をした後に、藁を綯ってゆくのですがある程度湿らせておかねば、手のひらで藁がすべって綯うことができません。
 そういうちょっとした工程がありますが、それらを進めてゆくと安心して綯うことができます。

 いつもしめ縄を綯う訳では無く、凡そ一年ぶりの作業ですから綺麗にできているとはいえませんが、その分心を込めて制作してゆきます。

 定数以上制作するのですが、できあがる頃には気力を使い果たしつつあり、余裕を持った数を制作し上がるとほっとする物です。
 
 できあがったしめ縄は年末に新旧の入れ替えをして設置いたします。

2020年12月18日(金)
金峯神社大祭

先日の15日、本務社の金峯神社大祭をお勤めいたしました。
 朝から雪がちらつき山々をかきわけて行けばゆくほど場所によっては積雪があり道中久しぶりの雪道でした。

 ありがたいことに金峯神社だからと言うような過度の緊張感が無く、普段通りに少し焔を扱うという程度の気持ちで臨めたのが良かったかと思います。

 祭礼では国家鎮護、国体安寧、皆々様の安寧などをお祈りいたしました。

 霊験あらたかな神威に触れて一年間に泡だった心が初心に返れ、ありがたいと感じております。

2020年12月7日(月)
そんな空の下では

 和源の里は次第に晴れ上がり凜とした空気をたたえています。

 そんな空の下では来週の金峯神社大祭の下準備をしておこうと考えています。

 金峯神社は和源より七十五キロばかり離れており気軽に祭礼奉仕できる距離にはありませんが、その御神気はすさまじく物心ともに準備を進めて、調整を取っておかねばご神意に沿うことはできません。
 どうしても難しい祈祷の場合、金峰の大?様に祈り祷り祷る誠心をもって祷りこみます。
 
 ですので多くの方をご案内したことはありませんが、ここぞという時のお宮です。
 
 ご案内をするにしても小さくボロボロの社殿ですので、真意を見る事のできる人物しか声をかけませんけれども。

2020年11月23日(月)
新嘗祭を祭行いたしました。

 新嘗祭は前日の鎮魂祭のおかげで、朝のように乱れていた気が一つの縄に綯いあげられるかのように次第にまとまりゆくのを感じ、この一年のご加護の締めくくりを感謝し、そして次の一年の弥栄を祈りました。
 
 一年に一二度しか着装しない束帯に些か手こずりましたが、これも神事の一環と覚悟して落ち着かせてゆく場面となりました。
 
 献饌が進む毎に、舞が粛々と進むなかに華やかな空気が満たされて行きありがたい気持ちが芽生えてきました。
 自然と「皆様に安寧と弥栄がありますように」と心中祈念でした。
 

2020年11月22日(日)
鎮魂祭を祭行しました。

鎮魂祭を祭行しました。

 新嘗祭を正しくお祭りするのに祭員の御霊を鎮魂して、ぶれない状態にするための儀式です。
 
 あまり公開をする物では無いと思うのですが、何をしているのか解らないのも問題と思い雰囲気が伝わるように写真を撮影してみました。

 斎服という衣冠を白色にした装束を召して祭礼を執り行って、さらには祭員も清めております。

 ちなみにですが、表に見える部分で一目見て大変なのが新嘗祭ですが、鎮魂祭は霊的な部分を確り鎮魂させるための鎮魂力がかなり必要であり、日頃の鍛錬がそのまま出てしまいます。
 
 写真に公開したくないのも見れる人が見れば一見で力量が解ってしまうので怖いなと言うこともありました。

2020年10月26日(月)
こういう心が大切なのでは

 和源の里は快晴と言いたいところですが、雲が山間から顔を覗かせ始めました。
 でも透き通った秋の空は美しいものです。
 
 そんな空の下で、祭具の手入れをしています。
 おろそかに扱えば短い命で終わりますが、丁寧に扱い定期的に手入れをしてあげると二代三代と十分に持ってくれます。
 
 和源の祭具に祖父や叔父から引き継いだ物があり、それらのなかには七代前の宮司が制作した物もあります。 できる限り丁寧に扱って次世代に受け継いでゆきたいです。
 
 こういう心が大切なのではと思います。
 

2020年10月19日(月)
「明日頑張るのではなく今日頑張れ」

「明日頑張るのではなく今日頑張れ」
 
 明日がんばるのは、明日になっても明日がんばるという繰り返しになってしまいます。
 そういうループが物事を始めれない考え方であることに早く気づいて、今日できればすぐに始めてしまう事が大事です。
 
 人生にとって一番早いのは今日、そして一番若いのも今日。

 5年・10年後にあのときやっておけば良かったと後悔しないようにすること。
 一日一日を無理することなく続けてゆくことが大事です。
 
 下手でもやってみる、そんな気持ちで・・・。

2020年9月28日(月)
和源の里は青空に

 和源の里は青空に10月を前にした雲がぽっこりぽっこりと浮かんで、肌に心地よい風と共に移動しています。

 そんな秋空の下、秋分の迷道供養祭でうまく幽冥界に赴くことのできなかった御霊さんたちを明日の浄霊浄化祭で送れるように下準備をしています。
 
 人はそれぞれの運命という星の下に生まれています。 
 普通の努力をしていては凡その軌道を変えることは難しいです。
 利他の心は人を含め御霊さんたちにも向けて行われるのが良いとおすすめします。
 利他心での行動は、功徳(他者の感謝の気持ち)が積み重なり運命を暖めます。
 暖められた運命が一定の段階まで到達すると、今までのしがらみにとらわれた嗜好や思考に少しですが新しい風を吹き込んでくれます。
 その上で前向きな気持ちで臨んでいると、ふと直感的な思いつきが有るかもしれません。
 単なる思いつきと捉えるのか、もしかしてと注視するのかによって運命が変わることがあると思います。

 ただ注意しなくてはならないのは直に金銭につながる直感はここで述べていることには当てはまりません。
 
 あくまで順を追って運勢を向上させる道を述べています。
 ゆっくりに見えるものはじっくり地ならしが行われるものですから先々に良いものです。
 ご参考までに書いてみました。

2020年9月22日(火)
秋分の迷道供養祭を祭行しました。

 多数のご参拝者の方々、また、遠隔地より御祈願をお申し込みいただきました皆々様のおかげを持ちまして、無事に秋分の迷道供養祭を執り行うことができました。

  この日は天候にも恵まれ祭礼に相応しい日となりました。

 この度は巫女さん体験希望の女性が新たに準備や祭礼を手伝ってくださり、始めてばかりに右往左往する場面は見ていて微笑ましい物があります。

 そんな中、粛々と準備に祭祀と進んで参りましたが、有縁無縁の御霊さんの方々が多く参られたようで、体験希望の巫女さんを始めお手伝いの方々もその存在を感じたようです。 

御霊さんといいましても、共に祈りそして供養を共にする方々ですから怖いことも何もなく、温かい気持ちになる存在が多いです。

 ありがたい気持ちの芽生えた供養祭でした。

2020年9月21日(月)
早い地域ではすでに稲刈りが

 早い地域ではすでに稲刈りが終わっている地域もあると思いますが、和源は10月に入ってからの刈り入れとなります。
 稲穂も豊かに実り穂先の五分の一程度まで枯れが入ってくる頃が収穫の一番の頃といわれています。
 その直前の実りの少し若い稲穂はとても素敵です。

日本の神道は自然の巡りと稲作と深い関係があり、恵みに深く感謝する文化です。
 

2020年9月7日(月)
台風の心配も無くなっても

 台風の心配も無くなっても、もしかしたらと被害確認を言い訳に周辺を散歩しました。
 特に被害らしい被害は見当たらず、残り風が吹いて暑い中にも心地よい場面がありました。
 体熱を風が癒やしてくれるそんな中に、ふと目線をひくものがありました。
 そんな一時の出会いを写真にしてみました。
 残念ながら名前を忘れてしまっているのですが・・・。

2020年8月23日(日)
和源の里は曇天で

和源の里は曇天で光量の微妙な加減の青垣が美しいです。
昼は結構気温が上がりますが、夜のとばりが降りる毎に気温がある程度下がり、すこし気を緩めることができます。
しかし一雨毎に下がっていく気温に哀愁を感じる方もしばらく先に出てこられるのではないでしょうか?。

そんな今日この頃に和歌をひもといてみれば
「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ」
 清原深養父と歌っていて
 夏の夜はまだ始まったばかりだと思えば明るくなってきてしまった。あの美しい月は、今どの雲を宿にして眠っているのだろうか。
 
 月が雲を宿にする・・・とてもロマンを感じますね。

2020年8月17日(月)
8月15日のことですが

終戦記念日ということもあり、英霊、戦災で亡くなられた方々などに向けて浄霊浄化祭をお勤めいたしました。

祭礼まえは非常に身体も重く、身体中に不思議な痛みが走っておりました。

英霊の方々などの痛みの一部を感じているのかもしれないと思い、気力を振り絞って祭祀をはじめました。

そうしてゆくと、重たい空気の一部がふっと登っていく感じがして、さらにお祈り込みを続けてゆくと重く感じていた空気が人の気配になってやがて幽世に登って行かれるのを感じました。

2020年8月3日(月)
 先日とある地方まで

 先日とある地方まで出張の地鎮祭をお勤めしにゆきました。

 お世話になっている方からのご紹介ということもあり、家伝の地鎮法をもちいての祭礼。

 土砂降りの中でしたが、祭礼の時々の、例えば祝詞や呪文が終わった瞬間に雷が鳴ったり風が吹いたりと不思議なことがありました。

 そんな不思議な祭礼の様子を写真にしていただきました。

 身近な人に見せるとパワーを感じるとか言われますが、そういうこともあるのかなと思う今日この頃です。
 

2020年7月27日(月)
水害も起こしたこの梅雨時期ですが

 水害も起こしたこの梅雨時期ですが、なにも悪いことばかりではありません。
 多くの雨が降り、川や池が泥水になってもただそれだけではありません。
 泥水の中にも美しくその姿を見せる蓮の花があります。
 その蓮の花を見たとき、あなたの心に何が映りますか?

2020年7月20日(月)
和源神主さんの音楽「草木は揺れる梅雨の終わりに」

和源神主さんの音楽「草木は揺れる梅雨の終わりに」

 今年の梅雨もそろそろ終わりを迎えるのかなという時期に参りましたが、梅雨のおかげで稲をはじめ草木は勢いよく生命力をたたえています。

 人の目から見たらのんびり見える草木。

 成長と風に揺られる姿を想像しながら音楽を制作してみました。

視聴用リンクアドレス
http://www.kazumina.com/kazumina-ongaku/kazumina-onngaku-r2-07-3-kusakiwa-1.mp3

2020年7月19日(日)
先日のことですが・・・

先日のことですが・・・
巫女装束体験教室を開催しました。
 本日は三人の女の子が巫女装束着装体験をしにやって参りました。
 慣れない着付けですから神職がお手伝いしての着付け。
 写真はありませんがお茶の給仕の仕方なども簡単ですが体験してみました。
 私が別室に移っても楽しそうな声が聞こえてきていたので、彼女たちにとって有意義な時間であったのではと感じています。

2020年7月14日(火)
柄巻きの写真です。

柄巻きの写真です。
先ほどの柄巻きの付録写真。

2020年7月14日(火)
刀の柄巻き

刀の柄巻き
 時間がとれたので前々から気になっていた刀の柄巻きをやってみました。
 練習用にしている刀や太刀があるのですが、刀の柄糸がボロボロになったのでまき直しをやってみた。
 この際に何種類かある鍔をつけ直して模様替えをして、一番しっくり合う鍔を選んでみる。
 結局脇差しと日本セットで写っているものに安定しました。
 ついでに脇差し鞘の鯉口の修理も・・・。
 和源の古神道行法を行う前や後に、よく抜刀術も練習しますが回数が多いと不都合が出てきて修正をしたくなります。
 まき直しをしたら手滑りが減って安心感が増しました。
 ただし自分用の実用ですので見てくれはあまり気にしてはいけないようです。





   

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