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礼法について考えること

礼法にのっとって動作すれば所作は美しい。
しかし単なる恰好付けかと、昔からこのようなことをと考えることがしばしばあった。

そういう思いもありながら、ひたすらに祭礼や応対を繰り返して繰り返して。
何か他にも意味があるはずだと考えつつ。

そうしているうちに言葉にならないが感覚で分かってくることがあった。
その段階での礼法などの指導は、今から振り返れば力が入りすぎたところがあったかもしれないが、それでも大切な要点を逃していないことに気付いた。

礼法は形です。
形だけを追求したものではない。
礼法を習得しようとすると形を覚えなくてはならないが、形だけではない。
人がそこにいる。

礼法は一面的に見ると形式だが、そればかりに目を向けると反発心しか出てこない。
これでは修養の意味をなさない。

何を修養し自己を磨けと暗に言おうとしているのか知らねば時間と労力の無駄使いとなってしまう。

礼法は人とのかかわりの中に用いるもの。

人とのタイミングを知らないうちに覚える。
それには人の動きを見なくてはならない。
人の言葉を聞かなくてはならない。
何がしたいのか予想しなくてはならない。

形を受容するという習得形式の中に自分を置いておいて、周囲を、人を見るという思考を身に着ける。
ここでは自分の好みや思考や生活習慣をいったん置くことが求められ、それの習得は周囲の状況を見て感じ取るという問題まで思考を張り巡らしてはじめて礼法の意味が分かってくる。
ただしそこで止まるわけではなく、そういった土台の上にさらに習得できるものが存在する。
それは人生の様々な場面で力になってくれる大切なもの。



神を祭り神々を祀る。
身心統一し慎みの心で神々を奉る。
一つづつの作法を心身統一の自己確認の目安としつつ更に深く入ってゆく。

入る我に、我は入るなり。
我は神々の中に居り、神々と共にありて、神なり。

儀式や祈祷における祭式、作法の組み合わせでできる祭式。
祝詞や祭文・呪文や印だけではない全てが組み合わさり意識とつながる。
つながりながら組み合わされた祭式の法則と神界および神々との波動は近づき・・・
やがて物理世界に現出された神界となる。

物事により波動融合率は違うのだか凡そ同じことが言える。

そのような世界が和源神道では一人前というのだろう。
その段階に至らなければ神仕えしているとはいえないと伝えている。

修行者には作法をうるさく言うときもある。
身について初めて深みに導く手立てとなる。
単に格好付けのためではないということだ。


神々の加護にふれると
大切なものが蘇がえる。

それはかたち無きもの
かたち無きゆえに...
かけがえのないもの

かたちが無き故に
その大切さに気付こうとしない

いつか気付いてと
神々はいつも微笑んでいる。

たとえばそれは
物を生みだすはじまりの
かたちなきもの

たとえばそれは
人を想うはじままりの
かたちなきもの

たとえばそれは
優しさに気付くはじまりの
かたちなきもの

たとえばそれは
生かされているはじまりの
かたちなきもの

いま生きているという
かたちなきもの

かたちはあっても
かたちなきものに
支えられている

その大切なものと
神々はともにある


「癒しの技についてのご質問にお答えして」

 電信にてご質問がありお答えするかたちとして書いております。
 ご質問の意図からは少し外れる場合がありますがご了承くださりませ。

 昨今、癒しという言葉がよく使われるようになりましたが、さらにヒーラー等の方々の世界は様々な試みが行われているようです。
 病気や精神的な疲労を癒してくれるという技術によって訪れる方もあるようです。
 
 さてそういった技術は突然に出てきたものではないと考えられます。
 たとえば治療をする行為を「手当て」とも言いますが、この語源を類推して考えるだけでも古代人がこれらの技術を何らかのかたちで、自然なかたちで用いていたと十二分考えることが出来ます。
 また民間で古くから様々な技法によって、肉体や精神の疲労などの癒しを行っているということがあります。
 古い文献等にも呪いや祈祷を治療に用いるとも記述があります。
 そのような記録や言い伝えを丹念に当たっていけば、現代のヒーラーさんたちは先祖返りの現象といえなくもないでしょう。
 このような癒しの技術はある程度の素質といいますか、感覚が必要であるのではないかと思います。
 
 和源でもそのような癒しの技術は伝わっていますが、単体でそのまま用いることはしていません。
 単体技術の伝承は行われているのですが、それらは基礎技術であり組み合わせることが前提となっています。

 癒しの技を単体で使用したときの使用感を書きますと、
 気などの感覚が鋭い人は変化を感じやすいのですが、気力をごっそりと失うような疲労感がやってきます。
 これは精神的な疲労をもっている人の場合を癒しの技を用いた場合は、どういうわけか怖さのような感じを内面に感じることがあります。
 恐らくで申し訳ないのですが、単純な技術はわかりやすいのといえると思いますが、術者への負担がとても大きいといわざるを得ません。
 
 おそらくそういった理由や経験から癒しの技を基礎技術として磨き、祈りの技の補助として補完する技術として和源では存在します。
 和源の祈祷は様々な技術を複合的に、必要に応じて用いる・・・祈願者の方々にわからないうちに用いることをしています。
ご参考まで


「すぐできる霊感体質の改善方法」

 霊感体質の方のお宅にお邪魔する機会が多くあり、大体似通った部分がある。
 もちろんぜんぜん違う人も中にはいらっしゃるので絶対とはいえないが。
 
 似通った部分のおそらくは、霊に軽く憑依され頭痛などをはじめとした身体が重たいという現象に出会うためではないだろうか?
 そのように思うし皆さんの話を聞いてもそうなのだろうと思う。


 その似通った部分というのは程度の違いはあるものの、大体片付けや整理が苦手であるということ。
 お邪魔して一番に目に付くのはそういう部分。
 片付いていない、とうぶんほったらがしにしていたモノに穢れが溜まってさらに動かしたくない現象に成長している。
 
 そういう部分が似通ったところ。。。

 さてすぐできる霊感体質の改善方法は読んでいて無論のこと察しが付いたと思うけれど、自分の部屋や家を整理整頓して清掃すること。
 ちょっと惜しいなというものでもちゃんと整理するのが好ましい。
 惜しいものだと思って仕舞い込むと、死蔵してしまってやがては生活空間を圧迫する。
 このあたりの見極めが大事。
 どのように整理すればよいのか、近頃は整理術の本などが出回っているのでそちらを参考にしていただければ、かなりの知恵を参考にできることだろう。
 
 この記事を読んでピンときた霊感体質のあなた、ぜひすぐに準備のほどを。。。

 当たり前のことをあたりまえにすること、それが大変な体質もあるけれど、やってみると意外に身体の負担が軽くなるのが不思議ですね。
 古来より神の道では正直清浄を尊んできましたが、実感と共にそれがあります。
 
 言い伝えられたことって大事ですね。



「食べ物」

食べ物は
いつも当たり前に
あるわけではありません。
一粒の米
一切れの野菜
そのありがたみ・・・
その心を持っていますか?
食べ物のありがたみを
忘れたとき
人は家を失い
人々は社会の壊乱を経験し
民は亡国を味わうのです。
謙虚さを忘れたときにそれらはやってくる。
人は苦労を知らないときに
いくらでも尊大になるのです。
尊大な心を持っているとき
人の傷心に気づきません。
盲目な瞳であるがゆえに
尊大な心を持っているとき
人の繊細さに気づきません
聞く耳が無いゆえに
大切なものに気づいてください。
宗教は精神だけを扱うものではありません。
生きるという根本も教えているのです。
日本神道の年中行事の真の意味
自然と共存し、ともに生きることを教えています。
ここでいう生きるという意味は
お金儲けに走ることではありません。
ましてや自然を破壊することの手助けではありません。
生きるという、生きているという深さを
深く深く感じてください。
命を大切にするという一面の事ではありません。
言葉にする難しさを乗りえた体感がそこにあります。
食べ物は
いつも当たり前に
あるわけではありません。
一粒の米
一切れの野菜
そのありがたみ・・・
その心を持っていますか?



「霊符の話題を少し」

「霊符にパワーを持たせたいのだけれど何かいい方法はありませんか?。水晶の粉を墨にまぜて書いてみたことがあるのですが」という問い合わせが昔あった。
 水晶の粉末を混ぜてというのは実は和源も実験したことがあって、思いつくところは同じことがあるなという感想をもった。
 ...
 結論から言うと、確かに霊符から感じるパワーは結構つくが。。。
 私の目から見たら水晶の粉末はあまり好ましくない。
 パワーが付けば良いのではないのか?と思われるかもしれないが、そうでない部分がある。
 
 霊符は文字(神代文字等を含む)や図形などの形を一定の形に整えられた用紙等に書いてゆくもの。
 それらを書くことによって方向付けをして安定させた波動を形成させるもの。
 それぞれの霊符には守護神界があって、それは生まれや魂の所属によってかわってくる。
 大陸で創作された霊府の形状であっても豊蘆原の国にくると事情が違ってくる。
 厳密に言うと同じ形状のものを造っても同じものにはならない。
 作成する人によってアクセスする神界が違ってくる。
 ここをしっかり捉えて押さえていかなければならず、どこからか図形を持ってきたからといって、力のあるものが製作できるわけではない。
 神道・古神道・陰陽道の秘伝とか口伝とか言われるものの多くは、修行者がぎりぎりまで育っている状態で意味がわかるものが多く、本当に微妙な修行者しかわからない感覚によって伝わるもの。
 そういう秘伝口伝の世界から見たら(私も興味本位の馬鹿を良くやるのですが)、水晶が力あるものとしても、神界の持っている波動と違うので波動がちぐはぐになってしまうことがほとんどだった。

 水晶粉末を入れて書いた霊符は、手をかざして気を感じるとかそういうレベルが主体の人には受けが良いかもと思う。
 ただ深い力が出ないだろうけど、浅くて判りやすいパワーなので判りやすい証が出る可能性は高いだろうけれど、そういうものは一過性のもの。

 時として力なきものが大いなるものを動かすことがある。。。

 私の言うことや、ご提案していることや、やっていることはわかりにくいものが多いだろうと思うので、こうやって書いてもウケることは少ないだろうなと思いつつも書いてみた。



神棚へのお供えの仕方-家庭用
<御神饌の置き方>

@半紙を御神餞用に一袋ご用意ください。
A一枚取り出し半紙を半分の大きさにカッターナイフで切ります。
 ※カッターナイフは専用のものをお一つご用意くださいませ

※半紙を切る際には手を洗いお口を漱いで
 から行ってくださいませ

B半紙のざらざらした面が上になるようにして下図のように置きます。

C下の角と上の角を合わせるように折ります。


D折ったものを長三宝に下図のように敷きます。


完 成

※注意
 つなぎ目が手前(人間側)にくるようにします



「新嘗祭和源の伝承より」

 去年の新嘗祭から今年の新嘗祭までの一年間、御神宝がご神前に安置してあります。
 また今年の新嘗祭から次の新嘗祭までの間、同じものを奉納して安置する。
 それは一束の稲穂。...
 一束の稲穂が御神宝として安置されているのは理由があります。
 もっともこの理由は和源の歴史に関係があり、同じ稲穂を収めておられる神社もあることでしょうが、意味や理由に違いがあるかも知れません。
 もちろん三大御神勅に関係あるのは言うまでもありませんし、それらを深遠とする意味にもう一つ二つの歴史を加えて和源伝承となります。
 ここでは和源伝承のみ簡単にお話いたします。
 。。。。。
 昔々和源家のご先祖様が地頭職を持って幾つかの村を統治していた時の事。
 城内(少しはずれの城外かもしれませんがこのあたりは正確に場所を伝えていません)の小さなお社に毎年のように稲穂と種籾をお供えしていました。
 それは神様の御厳のおかげでありがたいことに領内も安定しており豊作とは中々行かないですが、それなりのお米の収穫量でした。
 領内の稲作に地頭職の我が家もかなり関係しており、管理している幾つかの貯水池の水量が六割を割ったとき水の差配を行うという役目があったためです。
 ですので領内の実りの責任の幾つかを背負っているわけです。
 そうして領内を無事に治めていたのですが、ある日、当時の我が家の当主はある夢を見ました。
 守護神様の社殿の扉が開いたと思ったら中から神様がお出ましになられ次のようにおっしゃりました。
 「わしは腹が減ったゆえな、今年の稲穂や籾はわしが隠れるほどに積み上げ供えよ。」と。。。
 その言葉を聴いてはたと目を覚まし、神様は不思議なことを言われるものじゃ。しかしお告げであるゆえその通りにいたそう、と決意して例年の10倍ほども新嘗祭にお供えしたが、新穀米をお供えしいてるときに耳元に「もっとじゃもっとじゃ、けちけちするな」という声が聞こえてくるではありませんか。
 驚き儀式途中であったにもかかわらず、家来に命じて新穀米をもって来させお供えしました。
 「そうじゃそうじゃそれでええ」という声が聞こえ安堵し無事に儀式を終えました。
 そうして年を越えて夏がやってきました。
 その年は気温が上がらず作付けは不作。
 その次の年は凶作となってしまいました。
 領内に食べるものなどありません。
 春がやってきて稲作に取り掛かろうとしても領民は種籾まで食べてしまったという有様。
 そこで初めて守護神様のお告げの意味を悟り、新嘗祭(当時は違う呼び方をしていたかもしれませんが現代と同じく新穀をお供えします)でお供えした種籾を領民に配布し領内すべて無事に稲作を始めることができました。
 神様のお告げによって領内全滅を免れ感謝を神様にささげました。
 こうして和源ではその名残から、稲穂を一年間「御神宝」として安置することとなりました。

 上記のような伝承があり、大切にお守りしていることなのです。
 近年からは、共にお祈りをなした方、遠隔地でのご参加および起こしになられても同じく、一年間お供えした御神宝の稲穂を一筋御授与させていただいております。

 命を繋いでこれたことへの感謝、食の感謝、新しい収穫への感謝をこめて。。。
 




「巫女さん豆知識」 

今回の豆知識は、巫女さん(和源神官候補生待遇)が教えてくれる日々の豆知識を紹介させて頂きます。

『なぜ、苦しくて辛い姿勢を「正座」としたの?』

 日本では、膝を折ったその上にお尻を乗せる姿勢を和室での正しい座り方という意味で「正座」とよんでいます。
 しかしこの座り方は、慣れていないと足がしびれ、とても辛いです。なのになぜ、とても辛い座り方を昔の人は「正座」としたのでしょうか?そんな無理な姿勢を正しい座り方として規定した背景には、日本古来の足に対する評価があったのです。
 
 日本人は食べ物が傷みやすいことを「足が早い」といい、出費がかさみすぎると「足が出た」といいます。また、犯人が証拠を残せば「足がつく」といい、もしその犯人が悪事をやめれば「足を洗った」と表現します。
 このように、足はあまりよくない言い回しに使われることが多いのですがそれは、大地を踏みしめる足には悪霊がつきやすいと考えられていたからです。
 足に悪霊がついているかもしれないとなれば、相手への礼儀として、足の裏を見せないように気をつかいます。それが、古代において「あぐら」「たて膝」です。
 
 当時は、女性が「あぐら」や「たて膝」をしても無作法とはならなかったのですが、室町時代頃に衣服がかわると身頃の幅が狭くなったため、「あぐら」や「たて膝」ができなくなってしまったのです。
 こうして女性に「正座」が広まる一方で、男性の「正座」は茶の湯の普及とともに広まったとされています。狭い茶室で「あぐら」をかくと、隣の人と膝がぶつかります。それを避けるには膝をひっこめて後に折るしかなかったのです。
 
 このように、段々と今の「正座」が広まっていったのです。私は、昔の人の「悪霊がついているかもしれない足を相手に見せないように座る」という教えは現代社会にはない、素晴らしいものだと思います。
 【今の苦しくて辛い「正座」は悪霊がついているかもしれない足の裏を相手に見えないようにする座り方が、時代と環境をこえて変化したもの】これが、『なぜ、苦しくて辛い姿勢を「正座」としたの?』の答えです。



「赤いご飯の秘密」 
         
今回の豆知識は

『赤いご飯のヒミツ』です。

 みなさんは『赤いご飯』と聞いて、何を思いうかべますか?きっとほとんどの人が「お赤飯」と答えるでしょう。しかしお赤飯には、その前があるのです。
  
 古事記にもあるように、日本は昔『みずほの国』と呼ばれていました。みずみずしくて、さわやかな国。秋になると稲穂の垂れ下がる豊かな国という意味です。
 では、どうしてここまで豊かな国になったのでしょうか?
 
 昔、まだ日本が『みずほの国』と呼ばれていない頃、どこからか赤米という、赤いお米が伝えられました。
 古代人はその赤米を何とかして日本に根付かせようと一生懸命働きました。
 そのおかげで赤米が日本の風土に根付き、見事な『みずほの国』が誕生したのです。
 
 ところが、生産力の高い白米が入ってくると、生産力の低い赤米は段々作られなくなってしまいました。
 しかし、日本人は大変義理堅い。日本にくまなく稲作文化を拡げてくれた、古代のご先祖さまへの感謝の気持ちを忘れなかったのです。赤米を作られることが少なくなった今でも、お正月や秋祭りなどの行事がある日には、ちゃんとお赤飯を用意して、御先祖さまにお供えをしています。
 赤米を食べることが少なくなった今、みなさんは赤米の代わりに、お赤飯を作って食べているわけです。
 
 また、お赤飯をご先祖さまにお供えする時は日本に稲作文化を拡げてくれたことへの感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。
 私たちは古代の御先祖さまのおかげで今の生活ができているのです。

 【お赤飯のもとは赤米。その赤米とは、古代の御先祖さまが拡げてくれたお米の始まり。】これが、『赤いご飯のヒミツ』です。