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第一章 社会民度の低下 第九節「謙虚さの崩壊」
今の時代だけ特殊な人種がいるわけではないが、現代において増殖している人種がある。このことについて危機感を覚えておられる方も多いだろう。
その危機感は正当なものであり、貴方が公(おおやけ)に奉仕を大事とする精神や、社会を憂える心があるための直感である。
社会が美しさを失う、すなわち人民の精神性が低下し発展の速度が落ちるを意味する。社会の発展には、公正で安定した人々が平均的だとされる社会がもっとも安定して発展する。
そういった民度が低下した・・・低下の一要素とおもわれる性格の人々、つまり他者を軽視する傾向を多分に持つ性格の人が増殖した。
他者を軽視する傾向を持つ人が、謙虚に人の話を聞けるはずも無い。謙虚に人の話が聞けないのは円滑に社会行動ができない事を意味する。
他者を軽視する傾向の性格を持つ者は、謝ることをしない場合が多い。小さなそう自分が悪かったと気付いていても謝ることをしない。謝ることが敗北でもあるかのように考えているのであろう。
謝ることが敗北を意味するような考え方は、物事は協力関係で成り立っていることまでに思い至っていないとも考えることができる。
相談事などに従事するためいろいろな人を見ることがある、極端な例をあげると、親子連れで来ていて子供の失敗を子供が謝ろうとしているときに、親が子供だからと子供に失敗を謝らせないという場面に遭遇する。子供は視野が狭いことがあるので往々にして失敗をするときがあるだろう。子供がその失敗に責任を感じて誤ろうとする行為は、一個の人間として自然でありまた褒めれる行為である。そういった貴重な機会を親が率先して潰していっている。
一個人個人の間の奥深くまで、勝ち負けとか、気遣いをする場面にアナタとワタシという線引きがあって本当に幸せなのか?。心の中に線引きがしてある、これは人間の孤独であり絆を持たぬ生体機械に等しい。許されていると感じた体験をお持ちの方には理解できると思うが、存在を認められ許されているという感覚は幸福であり霊長の人間たるものである。人の心の幸福はそのまま行動にあらわれる。人類が王道楽土に到達するための一つの柱は謙虚さであり許し許されることである。
謙虚さと人間として許すという行為は、霊長の人間としての行為であり尊厳である。反対に謙虚でなく勝負や許しの無い頭は、相手の存在が全く入らない程度の精神しかなく狭く動物的である。自分の非を認めないという個人主義的な考え方では、調和は崩れ人との心の絆を損なう元である。
謙虚さと許し許されるそういう行為を大事にする人間は文明的であり霊的な人間である。こういった霊的で文明的な基盤を大事にしない場合は人類の未来は悲惨である。
心ある貴方ならば理解できよう。霊的で文明的な神道が大事であると。