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第一章 社会民度の低下 第七節「義の崩壊」
汝には心はあるか?
汝には謙虚さはあるか?
汝は聡明に聞き分ける耳を持っているか?
汝には誇りはあるか?
聞け神の声を、愚かなる人民を見て悲哀の御心を・・・
日本人として生まれたことは人間の栄誉である。その栄誉を認識できぬは不幸であり悲惨である。
限りなき人間の悲惨は、己の生まれた国の文化風習に愛着を感じぬことである。そこにはもはや正義の尺度も人としての誉れも破片と砕け、日本の国の民としての絆は喪失す。喪失した至宝を認知できぬ愚者である。至宝は日本に住む人としての精神基盤であり日本文化の持つ優しさである。日本人としての精神基盤が失われることは、すなわち不信の大海に一人ひとりばらばらに投げ出される如きものである。一人で生きていると錯覚の妄想に毒されていなければ熟慮すれば言わんとするところ、おのずから知るものなり。
おのずから知る者の中には、正しき魂が存在しているのであり誇りである。
義とはまず日本文化の基盤が必要であり、日本文化の軽視は義の崩壊である。この国に生まれたという誇り無くば正しさも知らぬ道化に等しい。自分の生まれた国に誇りを持つ者は正しさと勇気を身に付けるものであり、高き日本文化の精髄が義の正しさを照らすのである。
日本文化の根幹は天皇であり、尊皇の精神を取り戻すことにある。
天皇とは日本精神の柱であり絶対の公(おおやけ)である。そこには個としてより「公」の安寧を祈る姿がある。このことはSAPIO(サピオ)誌にて、こばやしよしのり氏も言及されている。
「公」の安寧を祈る姿・・・その姿は、利他の行いであり、いたわりであり公助である。この姿こそが日本文化の精髄であり奥深さである。
全体や人の立場や自分の役割を常に考え、中庸(ここではバランス感覚というほどの意味)的な判断を最良とする自他共にとって最も良いもの、またはより「公」性の強いものを義とする精神が肝要である。
私家は武家の源家である伝統からあえて次のことも言及する。
暴力というものの動機は自己防衛から発したものである以上、正しさなくば人間の悲惨である。武力は権力の保持に使われたとき社会の悲惨である。武力は個人のために使われるべきではなくましてや権力者のためでもない。
武力は文化を守るためにある。日本文化は日本人のみではなく世界人類の希望である。人類の希望を守護するは自然なことであり道理である。日本文化の根幹たる天皇を守護し、日本国の国体を堅持する精神を持ち合わせてはじめて武力は人間世界に有意義であり存在意義である。
経済は日本文化を保持し、さらに磨きをかけるための支柱であり主ではない。支柱が大黒柱となったとき、民の心の荒廃である。商業原理は我良しの自己利益追及の思想であり弱肉強食である。もし人類が王道楽土(いたわりや利他を人間社会の基本に置いた理想郷)を目指すのであれば、利益追求の思想から離れ、王道楽土への未来を考えなくてはならぬ。
もともと経済は経世済民の略語であり、世の仕組みや取り回しによって民を救済するの意味である。その原点に回帰し邁進するが人間たる由縁である。利他の精神もなければもはや心は利益をむさぼる鬼である。
神の御心を聞け、汝の善なる魂に聞け。
心ある者よ、己を正し修養せよそれ自助なり。
心ある者よ、修養の末に利他を心せよそれ互助なり。
心ある者よ、利他の末に公(おおやけ)を心せよそれ公助なり。
三つの助けを胸に秘めて神を助ける使徒となれ。
神は人類の行く末を案じる御心なり。