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第一章 社会民度の低下 第四節 「文化風習の崩壊」
浅はかな者は文化風習なんてどうでもいいじゃないか?という。
文化風習のありがたみを知らぬ愚者だから言えることだ。
インテリ風な人はこういうかもしれない「いまさら日本文化なんて」と。それらの言葉にはなんら裏付けも無く感情だけである場合が多い。
文化や風習という無形の基盤、そういうモノをかけて世界全ての民族国々が存亡をかけて戦っている事を知らぬそれこそ山奥(町住まいであっても)の時代遅れと言わざるをえない。
貴方は知っているか?、例えば万葉集の研究ではフランスが優れている。これは何も日本文化の優れたるを学ぶためではなく、研究論文に賞金が出る仕組みであり、日本文化の強みと弱点を研究するためのものである。例をあげて言っているのであり日本以外の「当たり前」を知らず、そのような文化侵略を受けていることに気付かない者はすでに敗者の側である。近頃騒がれている中華国と韓国だけが日本を狙っているわけではない。先進国といわれている国々を筆頭に、自国の文化で世界を塗り固めようとしている現実を、心あることは知るべきである。
身近なつぎの変化に、三十代以降(二十五以降でも)の人は気付くべきであるが、洋服の色使いが段々きつい色になってきていること、同じくはっきりした色使いが好まれるようになってきていることを。
これなどははっきり解ることであるが、古来からの色彩感覚という文化基盤が失われてきている証拠であり、文化基盤を喪失しているといっても過言ではない。色彩感覚基盤ですでに負けとなっていると同じように、別の分野においてもすでに同じなのだ。色彩感覚で例えて言うなら、色彩法やデザインなどいくら学んでいても受け継いでいる習慣と同一波長でなければ真の芸術を生み出すことは難しい。
真の芸術と呼べるものは、魅力という引力によって魂が吸い寄せられるような感覚を発している物たちであり、見てすごいという感覚以上の凄さをもつものである。色彩や構造や構図が奇抜なだけでは芸術とは呼べず、奇抜は奇抜でありそれ以上ではない。
色彩基盤を失うという一点をとっても、われわれ日本人は日本人以外を素晴らしいなどと言って、あくせく労働し色彩基盤の侵略者たちの製品や芸術またはブランド品を買わされているという事実に気付かなくてはならない。
現代の文化という戦争は知らないうちに勝敗はついていることが多く、そういった経済戦争の残酷さをまのあたりにして現実世界の悲惨さを正しく知ることが肝要である。
人は一度かたちに習性づいてしまうと「それ」を正当化し真実が見えなくなる習性がある。また習性づいている物事を正当化するあまり知性より感情をむき出しにしてしまうという蛮行がまかり通っているのが現実である。これらは日々身近で起こっていることである。
神道では「神道は天地や目の前におこる現象を正しく捉えて書籍(教えの一つとして)とし、その真実を日々に用いよ」といっている。
私はこの先人の言葉を心して聞くにつけ見るにつけ同じく書籍としてきた。無論それらは良い事もあれば気付き、反対に警告や警戒をすべき物事もある。神は良いことのみの兆しを見せてくださるだけでなく、警告や警戒すべきの兆しも見せてくださる。
いまや日本の全てが壊れようとしている。
一割もの移民を容認しようとしたり、関税自由化によって日本を形作っていた全てを破壊しようとしたり、すでにカルタゴと同じく亡国への道をひた走っているように感じれてならない。
食べ物についてもファーストフード化し風土となろうとしている。
早いことは急いでいるときには良いだろう。しかしいつも早くに食べるという習慣は、それだけ生活における精神に余裕が無いということであり、それだけ働き蜂の習性が風土になってきているのは、自らが支配される側の習慣を身に付けて行っているのであり、そういった習慣も気をつけなければならない。全ての場面でゆっくり優雅に食事をしなさいといっているのではなく、精神的な基盤について言及しているのである事を知って欲しい。
物事の真実を抽出したり、新たに物を生み出そうとしたり、創造的な事をしようとするには、深い思索と勘案が必要でありそれらを着想する生活習慣がなくてはむずかしい。
労働することは素晴らしいが、単純な労働者ではなく、創造的な労働が現在の日本に望まれていると思う。
どの労働階級になったとしても、己を磨く好機と思うが良い。
日常的な自己練磨が、怠惰に日々を送っている者との差を生むことは自然である。
生きるとは結構難しい、尊厳を心したいのであれば困難な人生であるが、格闘する人生はやりがいの在るものである。創造的な生き方をすることは精神物理共に豊かにしてくれるものと信じている。