「あいづちなどの何気ない癖が運命を左右している」
気をつけてゆくのは会話の内容だけではなく、相づちや会話の停止するその少し前の癖が重要な場合が多い。
相手が話しているなかで、好意的な反応に感じる相づちや小さな同調的反応は、非好意的に感じる相づちや反応にたいして大きな差が生じる。
また日本語の場合、語尾調子の上がり下がりは重要であり、おなじ文言であっても全く違う意味に相手は感じてしまう。
たとえばテストの点数で七十点を取ったとする。
会話上で相手が「今回のテストは七十点だった」といったとする。
それに対し「七十点だったのか」という言葉で返したとして、以下の問題に気づく必要がある。
「七十点だったのか」という語尾を明るく上がり調子で言葉を発した場合は前記の言葉の後ろに「それは頑張ったね」という風に聞こえる可能性が強く、反対に語尾が下がった場合は「全然できていないではないのか?」という否定的な感じとなってしまう。
聞き手側が考えている以外の感じ方を相手に与えている場合があり、相手の話を聞いている相づち的な会話で否定感を感じさせ、その後の会話で肯定的な会話をしたとした場合、あいてはどちらが本当かわからなくなってしまい結局不信感が出てしまう可能性がある。
会話全体でどのように相手に感じさせているのかを精査してみると意外なところに意図しない方向に感じさせる癖がある場合が多い。
精神的に鬱屈している人の場合は、肯定も否定もしようとしていないのに否定しているように感じる場合があり、それは話を聞いている合間の相づちや同調仕草などにも否定感を出してしまう。
また会話の意図を聞いていない場合も多い。
このあたりの自己の見直しをすると運命の行く方向もより選ぶことができるのではないか。
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