家本為一命、赤木格堂書、後藤清一刻、ぬれ額は欅  (「十近」の商業使用を禁じます)

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茶をたてた写真(茶道具一式)

十近庵のご案内

十近庵では、「作陶品」と「書画」の展示、「書籍」のご案内をしております。
特に「作陶品」の展示に力点をおいています。
その中でも茶碗を中心に、ご紹介していくつもりです。
なぜなら、茶碗こそが「作陶物」の雄だと考えるからです。

刻印の写真(十近・書画・軸)

茶碗というもの

茶碗は茶の空間を支えるにふさわしい物であるべきだと思います。
まさにそれで茶を飲む、と言うことにかける思いの深さを、茶碗は一身に背負う物です。
茶碗は自己主張するものであり、自己主張そのものと対峙するものでもある。
我と対峙するあり方そのものが茶碗だといえる。
個性の主張がしっかりとある、しかも一作一作異なる作品としての個性があって、そこに作者の精神がしっかりと反映されるべきです。
さらに言えば、名前のあるなしじゃない。作品そのものに存在する強さが重要だと思っています。
桃山時代に「今焼」として和物茶碗が取り込まれたのと同様に、現代作家の茶碗なども、今日もっと評価されて良いと思います。

5茶碗の写真(抹茶たてた備前焼・茶碗5つ) 5茶碗の写真(抹茶たてた備前焼・茶碗5つ)

小堀遠州の功罪

小堀遠州以後、価値観が大きく変わった。精神文化的なものから、きわめて洗錬された美の世界になってしまう。
だが、加藤唐九朗は高取について、茶碗としてはいかがなものかと書いている。
遠州は、あまり茶碗に執着がなかったのかもしれない。
そうでなければ、茶碗には不向きな窯ばかり選ぶはずはない。
遠州が生きた時代は、厳しいものは必要のないものだったのかもしれない。
それは、いろいろな人間関係や、物との関係を調和させる時代であった。
そして、そうした時代の遠州のあり方が、茶を広め、多様化させた。
遠州の登場によって、茶の選択肢は増えた。
しかし、遠州は、遠州七窯と呼ばれる窯場を選んだ。
その結果、遠州以後現代に至るまで、茶碗に精神的なものを求めることが薄れたと思う。
ゆえに形だけにとらわれて、本質を観る能力が低下した世となったと感じる。

茶碗を作陶する

茶碗を作る醍醐味は轆轤を使用せず手捏ねで製作することです。
楽焼は茶碗一つ分の土を円形状に分厚く平らに伸ばし、丸い薄板の上で、両手で少しずつ周囲から締め上げるようにまわしながら立ち起こしてゆく。
私の場合は、茶碗一つ分の土を玉状にして真上から親指を刺しいれて外へと広げるように力を入れながら立ち上げてゆく。
楽焼は内側、外側とも箆削りをするが、私の場合は外側のみ箆削りをするのみです。
見込みを削ると手捏ねの味がなくなると考えるからです。
土をつまむ時、思いこめて強弱をつけます。
高台を削るときは、箆を持つ手を回して削ります。


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