合宿物語

1968年夏 伊豆白浜海岸

 合宿に入ってまもなく、毎朝の早朝マラソンの直前にスコールのような雨。

 T先輩「この雨は、楽をしたいと思う君たちの心が雲を呼んだ。いいと言うまで正座。」

 1回生「・・・」

正座の苦手な同期のNのために明日からは晴れることを祈った。

 それからは晴天が続き、フライパンの上のような海岸の砂で、

足の裏の皮がベロリとめくれたのはNとKだった。

参考:1回生から4回生まで揃った初めての合宿だったが、写真は一枚もありません。

1969年夏 長野善光寺

 合宿も後半、善光寺宿坊「白蓮坊」の大広間で枕を並べて綿のように寝入った深夜。

突如「仁王門に集合!」 肌着のまま月明かりの参道をバタバタと前を行く部員を追いかける。

まもなく仁王門下に全員整列。その時遠く北アルプス連峰から「ウォ~」と狼のような遠吠えが、

すかさず同期のTが「先輩、誰かが自分を呼んでいます。」

 先輩「そうですか、いってらっしゃい」となるはずもなく。

残念ながら、そのあとのことはよく覚えていません。      (牛に引かれて善光寺) 

善光寺2 うさぎとび

 以前は「ぴょんとび」と言っていたようだが最近は見ないようだ。

写真のような石段があると必ずとんでいた。

善光寺合宿の昼下り、いつものようにとんでいたら、Bがテレビドラマのワンシーンのように

ゴロンゴロンと下まで転がって行った。(サスペンスなら頭から血を流して死ぬとこや)

 k「どないしたんや!だいじょうぶか?」 

 B「下りは転がった方が楽か思うてやったけど、あかん、あちこち痛いわ」 

先輩「あほか! 全員やり直し」 (うさぎおいしかのやま)  写真:井原金鋪寺

                              

1969年春 本山合宿

 卍の部旗が翻る京都駅構内に1回生の声が響き渡る。本山合宿出発の朝だ。

部員を乗せた列車は四国を目指す。

宇高連絡船の甲板で春風に吹かれて、きつねうどんを食べたころ、いよいよ香川県だ。

 夏合宿と本山合宿はなにか空気が違っていた。

そんな中、事件は起きた。 次回に続く。

本山合宿 2

 移動中一回生は幹部のカバンを持つ。特急「南風」から丸亀駅で下車。

その時一番マークしなければならない先輩のカバンをOが置き忘れた。

宿舎に着いて「ない!」 駅まで走ったがカバンを乗せた「南風」は

夕日の中を大歩危小歩危あたりを爆走中。一回生に緊張感が走るが、ここは総本山。

すべては何事もなくプログラムは粛々と進行していくのだった

(瀬戸は日暮れて夕波小波) 写真は松山行きの同型しおかぜ キハ181系

 

1970年早春 串本町潮岬

 この年、Tがカメラを初めて合宿に持ってきた。なぜ覚えているかと言うと、乗換駅のプラットホームで線路にカメラを落とすのを丁度みていたからだ。しかし写真は残っている。

厳しいと思い込んでいた合宿だが、みな楽しそうに笑っている。

ユーモアがなければ合宿は乗り切れないのだろう。

「北の海」

 日本海の荒波に面した金沢での三年間の旧制高校時代(現在の大学の教養課程)、私はひたすら柔道に専念した。柔道のほかは眠気と食い気だけの三年というものを一生の間に持ったことは、途方のないことのようでもあるが、私の後半の人生の基礎を作ったといえることもたしかである。(わが青春への鎮魂譜)

 「北の海」井上靖(1907~1991年)