一年前をゆっくりと思い出しながら書きました。

2003nen 4gatu3nichi


予定日を大幅に過ぎていたために陣痛誘発剤を二時間おきに飲みました。
しかし、よわ〜い陣痛らしきなのは来るものの、すぐに収まってしまいます。
朝から始めたのに夕方・・・・。
超音波でみてもらったら・・・「なつめ」は見事に反り返ってしまってました。
このまま自然分娩では無理との判断で緊急に帝王切開となりました。
部分麻酔での手術。
ものすごい不安と戦いながら、なぜか手術室には「宇多田ヒカル」の歌が流れていました。
麻酔の効きを確かめる動作が何度も行われ・・・それからすぐ

「ウンギャァ〜・・・」という声がしました。

生きてる・・・・生きてる・・・・。

ひまあず夫婦は「人工呼吸器」は使わない・・・
ということを先生に話していました。
いろいろと考えはあると思いますが、一杯考えて考えての決断でした。

小児科の担当の先生がタオルにくるんだ「なつめ」を抱き、
ひまあずの顔のとこに来ました。

「聞こえる??ちゃんと泣いてるよ!息してるよ!聞こえる??ちゃんと聞いてる?
?これから検査にいくからね!心配しないでね・・・」
と言い残し足早に去っていきました。

「どうしよう〜〜どうしよう〜〜息が出来た・・・・ミルクは飲めるの??体温調節
は出来るの??どうやって過ごしていったらいいんだろう・・・・」

正直出産の喜びよりも不安で不安で
頭がぐらぐら・・・吐き気に襲われ・・・そこから先ははっきり覚えていません。
本当なら安堵の気持ちをかみ締め喜ぶべきだったのに・・・
あの頃の私は何とかして
この現実を受け入れなければ・・・・という気持ちしかありませんでした。
今では本当に心から喜んでやれなかったこと後悔しています・・・。

「なつめ」に初めて会えたのは出産から3日目!

車椅子にのってチチに押されNICUに行きました。
消毒液で何度も洗い外の菌を入れないよう完全装備で入りました。
「こんな風にして守ってやらなくっちゃいけないのか」と思い、
この日は大変ショックを受けました。
保育器にいる「なつめ」はみんなより一回り大きかったです。
(3120gだったので)
一杯、管が通って小さい体にものすごく大きな点滴でた。
顔のパーツは中心に寄り、口唇裂・口蓋裂こそはないものの海老のようにそった体、目の玉がクルクルと回って下あごは小さい。

見た瞬間チチは
「かわいいじゃろぉ〜〜♪」
と言いました(チチはその時が初めてではありませんでした)
ひまあずは保育器の小窓から手をいれ握り締めながら
「ごめんねぇ・・・しんどい思いさせて・・・」
と言うのが精一杯でした。

それから毎日、ひまあずは病院の授乳室で母乳を搾りNICUへ持っていくという生活になりました。

反り返りが強く、直母は出来ませんでした。
飲む力も弱いので母乳を哺乳瓶に入れて飲ませていました。

ひまあずが退院の日、「なつめ」と一緒にというわけにはいきませんでした。
痙攣は起きてませんでしたが検査や経過を見ていくためです。
ほとんど毎日、病院へ行く生活が役一ヶ月続きました。

この間に、ひまあずもチチも「なつめ」を受け入れる心の準備が
出来たように思います。
小児科の先生もこれがネライだったのかも・・・と今思えばです。