香積寺 寺報 209  201511


謹賀新年

めぐり合うた
よろこびこそ
生きたよろこびである

           舘 熈道

 

十劫の昔に
この私のために

    
中西昌弘

 

舎利(しゃり)(ほつ)阿弥陀仏(あみだぶつ)成仏已来(じょうぶついらい)於今十劫(おこんじっこう)

(舎利弗、阿弥陀仏は、成仏よりこのかたいまに十劫なり。)

 

 阿弥陀さまは、成仏されてから現在にいたるまで、すでに十劫という久しい時が過ぎていると説かれています。この十劫とは、どれほどの時間かと申しますと、劫とはカルパといい、インドでは、きわめて長い時問の単位をあらわす言葉です。たとえぱ、四十里四方の大きな岩を、天人が百年(三年という説もある)に一度ずつ、薄い(ころも)で払って、その岩がすりきれても劫は尽きないという盤石劫(ばんじゃくこう)のたとえ等があります。インドの人たちは、日本人の考え方とは発想(はっそう)が違い、時間のとらえ方も天文学的数量を超える表現をしばしば用います。それほど、仏教の世界観は広大無辺であることをあらわしています。

さて、十劫の昔に阿弥陀さまが、おさとりを開かれた(成仏)ということは、私たちの救いの法(決定(けつじょう)摂取(せっしゅ)の法)は、阿弥陀さまのお手元で仕上げられ、すでに、私たちの手元に届けられてあるということです。

また、親鸞聖人は、阿弥陀さまを、十劫以前におさとりを完成された仏さま(十劫

 

仏)であると同時に、久遠(くおん)(じつ)(じょう)という永遠の昔に成仏されている仏さま(久遠仏)であると、示されます。「大経和讃(わさん)」に、

 

弥陀成仏のこのかたは

今に十劫とときたれど

塵点久遠劫(じてんくおんこう)よりも

久しき仏とみえたもう


とあります。つまり、阿弥陀さまこそ、おさとりの本源(ほんげん)であり、あらゆる仏さま方は、この久遠実成の阿弥陀さまのおさとりから出現されます。その阿弥陀さまの救いのはたらきを、私たちに知らせるために、自ら法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)としてあらわれ()、十劫の昔に成仏された()と示して下さいました。浄上真宗では、このように、私のために成仏して下さった十劫の阿弥陀さまをご本尊として、信仰の対象とします。

お釈迦さまについては、「諸経(しょきょう)和讃」に、

 

久遠実成阿弥陀仏

(ごじょく)凡愚(ぼんぐ)をあわれみて

釈迦牟(しゃかむ)尼仏(にぶつ)としめしてぞ

(がや)(じょう)には(おう)(げん)する

 

とあり、阿弥陀さまが、迷いの私たちのすがたを見て、じっとしておられずに、インドの大地にお釈迦さまとして出現されたとあります。このように、諸仏のお一人としてのお釈迦さまは、「浄土三部経」を説いて、私たちを救って下さる阿弥陀さまのはたらきとして仰ぎます。お釈迦さまをご本尊としないのは、ご本尊である阿弥陀さまを通して、お釈迦さまのお徳をしのばせていただくからです。

(行信教校講師、大阪市・浄光寺住職)

 

推薦書
あなたのしらない
親鸞と浄土真宗
山折哲夫監修 洋泉社
本体860円+税





トップ アイコントップへ戻る