高野山真言宗 吉井山 成福寺
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全てのものは変化する (「高野山こころの法話」から)

 春と共に天地の躍動が始まります。冬の試練の中で耐え続けた草木は一気に生気を取り戻します。
 さて、仏教の言葉に「諸行無常」というのがあります。行とは「この世の現象」をさします。
 「この世のすべてのものは変化していく。永久不変のものは何も無い」ということです。

 地上にあるものも同じで、空気は微風となり、木枯らしとなり、時には暴風となって動いて行きます。人間の身体も同じで、細胞は毎日何億も造られ、何億も機能を停止し、血液は何十年もの間休むことなく流れています。もし、この動きが止まればたちまちに死がやってくるのです。
 
 万物は無常であり、変化しています。だから私たちもそれに順応して生きていかなくてはなりません。人生には四苦八苦がありますが、この悩みに直面したとしても、苦にとりつかれて悲観的になってしまったり、努力する勇気を失ってしまってはなりません。全ては変化していくのです。苦はいつまでも続くものではありません。つらい時こそ歯を食いしばって一層の努力を必要とする時なのです。
 
 かつての戦争でどれだけ沢山の人が泣き続けたことでしょう。物質的にも精神的にもどん底に突き落とされ、長い長い忍従の連続であったと思います。しかし、手をとり合って生きた人々は、幸せな家庭に育った人よりも、ずっとずっと素晴らしい成人となってきました。

 全てのものは変化するのです。
  


受験生への応援歌 (平成17年1月21日)

 お正月も一段落した今月15日(土)・16日(日)、大学入試センター試験が実施されました。全国の高校や大学では、これから3月にかけて本格的に入学試験シーズンに入ります。

「人事を尽くして天命を待つ」と言いますが、受験生にとっては今までの成果が現れる瞬間でもあります。
親も子も一世一代の大事業であり、毎日が緊張の連続ですが、これからは体調を整えることと、受験の当日、自分の実力が十二分に発揮できるよう「心を静める工夫」をすることが最も重要です。

そこで今日はその極意を伝授致しましょう。

・・・・仏教には心を静める修行として、「座禅」があります。座禅は禅宗に限らず仏教修行の基本であり、私も高野山で真言宗独特の瞑想修行をいたしました。
その時まず最初に教わることは、「呼吸を整えること(これを調息と言います)」です。現代人は忙しく動き回るにつけ、呼吸も速くなり且つ浅い呼吸をしているそうです。
呼吸の「呼」という字は「吐く」という意味です。「吸うこと」よりも「吐くこと」に注意を注ぐ・・・。これが極意です。

まず背筋を伸ばし、口から「はあー」っと出来るだけ長く息を吐く。明治大学の斉藤孝教授は「口から15秒」吐きなさいと指導されていますが、実際に15秒、口から息を吐いてみてください。びっくりする程長く感じます。
そして15秒も吐きますと、お腹の筋肉がギュッと締まっています。そこでこのお腹の筋肉を緩めると、自然に鼻から空気が入ってくる。スウーッと気持ち良く入ってくる。きれいな空気を肺一杯充分に吸い込みます。そしてしばらくその息を肺に留めます(これを保息と言います)。そして又口から「はあー」っと出来るだけ長く息を吐く・・・。

これを5回程度続けると、不思議に心が休まってきます。気持ちが落ち着いてきます。
受験生の皆さん、最後は冷静な落ち着きです。どうぞ、この極意を実際に練習してみてください。簡単に身につきます。そして試験会場に入ったら、この呼吸法を実践しながら待ってください。
必ずあなたの実力が発揮されます。

ご健闘を、心からお祈りいたします。
  





仏教の教え (平成16年10月27日)

 私たちが住むこの宇宙は、150億年以上前に起こったビッグ・バンによって一点から発生し、現在も広がり続けています。このことは、最新の宇宙物理学によって実証されている真実です。
この事実を裏返して表現すれば、150億年以上前まで遡れば私たちの住む宇宙は全て一つのものに集約されるということです。太陽も月も地球も、そしてその中で生きている人間も動物も植物も、更には山も川も海も、全てが同じ所から発生しているのです。

 仏教では、この「集約される一つのもの」を「大いなるいのち」と説き、この「宇宙生命の根源」を「大日如来」と表現します。2千年以上前に深い深い瞑想の中で導き出された教えと、最新の宇宙科学とが一致することは、驚きです。
 
 さて私たちが暮らす世間を見渡す時、何故か私たちは自己の利益や正当性を主張して、いがみ合い、争い、奪い合い、殺しあっています。最近では「訴えてやる」 といきまくテレビ番組も人気です。・・・・全ての存在は同じ宇宙生命から発しており、「他人を傷つけ殺すことは、自分自身の一部を傷つけ殺すことだ」という真理を知っているにもかかわらず・・・。
 仏は私たちに、一刻も早くこの愚かさに気づくことを求めています。

そして同時に、いかなる場合も「慈悲の利他行をせよ」と説きます。
自らの利益を損なってでも他人のために行動せよ。私たちは全て根源を同じくする「大いなるいのち」で繋がっているのだから、他人のためにする善行は即ち自分への善行でもある。
どんな状況に置かれても、宇宙の「大いなるいのち」は必ずあなたを守ってくれる。だから、安心して「慈悲の利他行」に励みなさい、と。

 私たちがこの世で築いたものは、財産も、地位も名誉も権力も、愛欲も、何一つあの世へは持って行けません。
私たちがこの世を去る時は、みんな丸裸になって同じ所= 宇宙を貫く 「大いなるいのち」に帰ってゆくのです。


「ごめんなさい」
なかなか言えない いい言葉
(平成16年9月23日)

 今日は秋分の日。
・・・仏教では、お彼岸の中日です。朝から檀家さんが数多くご先祖様のお墓参りに来られています。

 さて成福寺山門の横に、標語が書かれたパネルを何枚か置いています。保護司会の方が毎年持ってこられる標語パネルです。その1枚に、「ごめんなさい・・・なかなか言えない いい言葉」というのがありますが、実は私、つい先日この言葉を改めて噛み締める大失敗をしました。

 私は彼岸の入りの9月20日に大阪へ出張しました。夕方には仕事が終わりそうなので、大学時代の友人に久しぶりに会いたいと思い、O大学の助教授をしているS君に電話をしたところ、多忙な時間を割いてわざわざ梅田に出て来てくれることになりました。

 ところが予想に反して仕事が遅くなり、約束の時間には間に合いそうにありません。私の携帯電話には催促の電話が入っているようでしたがそのままにしていました。やっと仕事が終わり、「これから30分後に梅田に行けるから、もう少し待っていてほしい」とS君に電話したら、「もう僕は帰るぞ」とかなりの剣幕です。私は「ごめん、ごめん」と謝ったのですが、彼は電話を切ってしまいました。
 私としては諦めきれず、もう居ないだろうなとは思いましたが梅田の待ち合わせ場所まで行きました。やはり予想通り彼はもう居ませんでした。携帯に電話をしましたが出ません。そこで携帯電話の伝言メモに「ごめんなさい。もう居ないだろうと思いつつ今、紀伊国屋の前に居ます。この償いは今度必ずしますから許してください。」と入れておきました。

 それから1時間ほど経ってS君から電話が入ってきました。「今どこに居るのか?」と言うので「もう帰りの新幹線だ。先ほどは申し訳ない」と返事をしたら、「何にも言って来ない奴よりはましだ」と言ってくれ、私は内心ほっとしました。もう少しで私は大切な友人の信用を失うところでした。そして、あの標語パネルの言葉をつくづく思い出しました。


 「ごめんなさい」・・・なかなか言えない いい言葉

長寿の秘訣 (平成16年9月15日)
 お寺のすぐ横のお宅に、今年11月25日で満100歳になる元気なおばあちゃんがいます。
名前は、妹尾房美といいます。
 実はこのおばあちゃんには、毎日の日課があります。それは、朝8時にはお寺の観音堂の前まで押し車を押しながら歩き、観音様の前で押し車に座って般若心経を拝むことです。よほどの事がない限り毎日来られます。
 私が時たま声をかけると決まって「おじゅっさんが声をかけてくださった。ありがとう。ありがとう。」とお礼を言ってくださいます。

 実は昨年の6月、観音堂の前に大きな提灯を二つ新調しました。東京・浅草の浅草寺の提灯程は大きくありませんが、なかなか立派な提灯です。
 ある朝おばあちゃんに会った時、「私しゃあ毎日拝まさせてもろうとるんじゃが、あの提灯は高かったじゃろう。私もお供えをさせてほしい」と、5千円の入ったお包みを渡してくださいました。
 さて、どうしたものか・・・。おばあちゃんがせっかくお供えしてくれたお金だから、何か記念になるものが良いな・・・と考えていた時、ふと頭に浮かんだのが「提灯の房」でした。・・・幸い未だ提灯に房をつけてない。5千円あれば2個買えるからと、早速仏具店に注文をして取り付けました。

 房を取り付けた次の日の朝8時、おばあちゃんは日課通り観音堂の見える所まで来ていました。
私はおばあちゃんに「あのお供えのお金で提灯の下へ赤い房をつけたで。よう見えるじゃろう。」と指差しました。
 するとおばあちゃんは「おじゅっさん、本当じゃ。赤い房が付いている。私の名前は房美じゃ。私がお供えしたお金で、おじゅっさんが観音さんの房を買うてくれちゃった。房美のお供えで房を買うてくれちゃった。房美の房を買うてくれちゃった。ありがとう。ありがとう。」と顔中くしゃくしゃにして喜んでくださいました。
私のほうが恥ずかしくなるほどです。その後も私に会うたびに「ありがとう。ありがとう。」と言って下さいます。
 
 私の人生の2倍生きてこられた房美おばあちゃん。長い人生、きっといろいろあったはずです。でも、会うたびに「ありがとう。ありがとう。」と挨拶してくれるおばあちゃん。

 まだまだ元気で長生きしてくださいよ!

 

お盆の心      (平成16年8月16日)
   今年の夏は酷暑で大変でしたが、各檀家さんの家を廻って拝む「お盆の棚経」も何とか終了しまし
   た。 そして今日16日は、お盆の送り火。
   お寺の近所の人たちは午後6時ごろからお墓へ参り、送り火を焚いて、また来年御先祖様と幸せ
   に会えますようにと祈っていました。

    お盆にはナスやきゅうりを祭壇にお祀りしますが、これは先祖の霊があの世とこの世を往復する
   時の乗り物です。8月13日にあの世からご先祖様が帰って来られる時は「きゅうり」です。
   きゅうりには割り箸で4本の足をつけてありますが、これは馬をイメージした乗り物です。
   ・・・ご先祖様をお迎えする準備が出来ましたよ。馬に乗って早く帰って来てください・・・。という願い
   を形に表現したのです。
   そして今日16日には、「牛」に乗ってもらってあの世へと送ります。ナスに4本の足を付ければ牛に
   そっくりです。・・・常に私たちを見守ってくださっているご先祖様との別れを惜しむように、牛に乗っ
   てゆっくりゆっくりとお帰りくださいとの願いを込めて・・・。

   お盆だけでなく、どんな時もどんな人に対してもこうした優しさを持ち続けましょう。

   これが仏教の心です。



お大師様の御誓願 (平成16年7月7日)
 全国のお寺ではお盆の準備が始まる頃となりましたが、成福寺では、毎年8月13日の夕方から、ご先祖様を盛大にお迎えする行事「成福寺万灯供養会」を開催します。(詳しくは行事のページを参照ください)お蔭なことに今年で14回目を迎え、地域のお盆の風物詩となっていますが、そもそもこの万灯供養会の法要は今から1200年前、弘法大師様が高野山において始められた行事なのです。
 お大師様が「高野山万燈会」の法要でお誓いをされた願文が今も残されていますが、その中に次の文章があります。

『虚空(こくう)尽き、衆生(しゅじょう)尽き、涅槃(ねはん)尽きなば、我が願いも尽きなん』
(この宇宙が消滅するまで、そして生命ある全てのものが居なくなるまで、そして全ての生命が悟りを得るまで、わたしの願いは尽きることはない)

 自分一人だけが幸せになったからといって、何になりましょう。あなたの周りの全ての人が幸せになって始めてあなたも幸せになれるのです。
 仏教の教えにある布施の行は、私たちの心に巣食う「三毒」の一つ「貪欲」を捨て、生きとし生けるものに施しをする大切な修行です。人間や動物に対する布施はもちろんのこと、餓鬼仏にも布施をする。お盆の「お施餓鬼」は、自分さえ良ければそれで良いと思いがちな私たちの心を見直す為の大切な機会なのです。
 お大師様の弟子である私たち真言宗僧侶は、生涯をかけてお大師様の御誓願を実現すべく働きます。そして必ずお大師様が助けてくださいます。
 お盆には是非ともお墓参りとお寺参りをしてください。
   
自分には何が出来るだろうか (平成16年7月1日)
 6月1日、佐世保市大久保小学校で起きた小6女児死亡事件を始め最近特に青少年の問題行動が数多く報じられていますが、その際大切なことは、こうした事件を他人事にせず全ての人が身近な問題として真剣に考えることだと思います。「私たち皆が幸せに生きる為に、自分には何が出来るだろうか…」と。
 私自身は僧侶という仕事柄、日頃死との関わりが深い生活をしています。その中で私が心掛けていることの一つに、子供の居る家で枕経を拝む時、子供を枕元に立ち会わせるようにしています。そして亡くなられた人の頬にその子の手をそっと触れさせる。・・・
 その子に「どう?」と聞くと、神妙な眼差しでほとんどの子が「冷たい」と返答します。その子にとって、今まで自分を大切に可愛がってくれたその人は「温かかった」のです。これは理屈ではありません。
 今私たちが子供に教えなければならない事は、「実感として死を感じさせること」です。死んだ命は決して元には戻らないことを教えることだと思います。幸い私には仕事柄その場が提供できます。これからも自分に出来ることを少しづつ実践していこうと思います。
 
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