王墓の丘史跡公園
倉敷市矢部にある墳丘墓を整備した公園です。
NHKの「ブラタモリ」でも紹介されました。
先に南側にある「王墓山古墳」から。 ここには管理人の地元産の「波形岩」を使った石棺があります。 説明看板の一部です。 少し傷んではいますがオープン展示です。 ここにはもう一つの見所もあります、これです!! 何百年先には「遺跡」と呼ばれるかも。 |
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ではお目当ての「楯築遺跡」です。前方後円墳のプロトタイプとか 日本の「ストーンヘイジ」と呼ばれる2世紀後半の遺跡です。 入口の様子です。この横手に5〜6台分の駐車場があります。 ザッとの全景ですが、多くの写真がネットで見れますので興味があれば。 管理人的には少し丘の下側から狙ってみました。 そしてこの地は永らく「神社」としての役割を担い この祠の中にあった「旋帯文石(亀岩)」が大きな意味を持ってきます。 今回の訪問時にまったくの偶然ですが関東から車でお越しになっているご夫婦と会話でき ご紹介で「ブラタモリで説明された倉敷教育委員会の藤原様」にお会いできる栄に浴しました。 まずは祠とストーンを。 この祠の中に「御神体」として永らく安置されていました。 このあと藤原様の説明で本物の旋帯文石なども見せていただきましたが 「御神体」ということで、専門家でない管理人がHPなどでは「全体映像」を 公開しないようにお願いされましたので、そこはご了承ください(撮影は可でした)。 では藤原様の後ろ姿と、部分的な珍しいショットとして 現物の下側にある鏡の映像です。細かな彫刻が裏側まであることが分かります。 伺ったお話の中には *木棺の下には「朱」が大量に敷き詰められていたが、成分分析ではおそらく中国産。 近くに港の痕跡も残っているが、この時期に中国から大量に輸入(32kg)できる権力とは? 現物も見せていただきましたが、今なお「血」を思わせる鮮やかな赤は「蘇生を期待?」。 *御神体の「亀石(旋帯文石)」は、一時期の神社合祀の時に「鯉食神社」に移されました。 その直後から『流行り病』が大流行して「祟り」と恐れた住民の願いにより この地に戻ってきたそうです。 *有名な「高松城の水攻め」の際には、この神社にも「陣」が築かれたのですが 特に岩などは破壊されなかったとのこと(高松城址はよく見えます)。 他にも岩の地下構造なども説明いただき、知識のない管理人にも とても興味深い一時を過ごさせていただきました。 |