山中鹿之助 首塚

阿井の渡しで殺害された鹿之助ですが
備中松山城で毛利輝元に首実検された後
鞆城に送られ、時の将軍「足利義昭」の首実検を受けたと伝えられています。


鹿之助の首はそのままこの近くに埋葬されたと伝えられ
今でも静観寺では毎年7月17日に「首塚祭」の供養を行っています。

管理人的には十分な知識は無いのですが
高梁市の胴塚では「鹿之介」で、鞆の首塚では「鹿之助」となり
「すけ」の文字が違います。
このブログでは、その土地の記述を優先させていただき
今回は「鹿之助」と致します。

では現地です。首塚は直角に曲がった道路の一角にあります。
南側からのアプローチと東側からのアプローチです。
まずは南側より。



続いては東側より。
後ろに見える山門が『静観寺』になります。



首塚の後ろ側より。



寺社の敷地内にあるのではなく、言うなれば道の真ん中に鎮座しています。

では全景を。





地元の皆様に大切にされているのが感じられます。
横にある案内看板も4か国語で紹介されていますが
今回は日本語部分だけ。



この案内では」「鹿介」になっています。
故人は浮かばれておられるでしょうか?

隣接する『ささやき橋』です。




では、せっかくですので鞆城も行って見ましょう。
現在は城郭の名残は無く、「歴史民俗資料館」となっています。
そうは言っても高台ですので・・・



石垣は当時を彷彿とさせて



案内標識が時間のむなしさだけを伝えます。





これでミッションは終了しましたので、帰っても良かったのですが
「鞆の浦」といえば、個人的な宿題が残っていました。
それは何年か前にテレビ番組として放送された「流星ワゴン」のロケ地巡り。
あまり連続ドラマは見ない管理人ですが、この番組はお気に入りでした。
覚えていますか? 「俺とお前は『朋輩(ほうばい)』じゃけえ」と言う
忠さんの口癖を・・・・・・



まだ番組ホームページは残っていました。


釣り船に乗る以外の目的で「鞆の浦」に来たのは何10年振りでしょう?
平日だったのですが、大型観光バスも何台か確認でき
勝手な推測以上に賑わっておりました。