山中鹿之介の墓

通称は「鹿之介」ですが、本名は『山中幸盛(ゆきもり)」と言います。
戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰の武将です。
長男は武士を捨てて『鴻池新六(直文)」を名乗り酒造業を開始。
後の鴻池財閥の元となったそうです。


尼子再興運動に生涯を掛けながらも、上月城の戦いで毛利軍に降伏した幸盛は
生け捕られ人質となって備中松山城に在陣する毛利輝元の下へと連行されていたが
途上の備中国合・阿井の渡しにて、毛利家家臣の福間元明により謀殺されました。
その阿井の渡しは現在の高梁市にあります。

写真の手前から左カーブで高梁川が。右手から成羽川が合流します。



その幸盛(この後は鹿之介と称します)がなぜ有名になったかというと
軍人教育や昔の道徳教育の題材にぴったりな「名言」を残したところ。
かの『ドラえもん』にさえ登場しています。





我に七難八苦を与え給え!



では現地に行って見ましょう。
国道313号線沿いに標識は出ていますが、名前が2種類?!
このブログでは「鹿之介」とさせていただきます。



周囲は3方向が道路でもう1方向はコンビニ。安らかに眠られておられるでしょうか



正面入り口からと逆方向の風景ですが、ある意味殺風景ですね。





続いて案内看板をご紹介。






最後に墓石と高梁市の観光案内の石柱です。






看板類は「鹿介」で、お墓本体と石柱は「鹿之介」とここも2種類です。
管理人は墓石に敬意を表して「鹿之介」とさせていただきました。


備中松山城で毛利輝元の首実検を受けた鹿之助の首は
その後足利義昭の首実検を受けるために、滞在先の福山市鞆町に送られました。
いまも『首塚』として鞆に残っているそうですので
近いうちに訪問いたしましょう。