消渇神社

地元ではかなり有名な神社です。
ただし街中から離れ結構な山の中にありますので
車での参拝をお勧めします。


まずは境内にある案内板より。



少し読みづらくなっておりますので、「観光協会様の紹介文を」

****** 以下、観光協会様より借用 ******

「子宝なき人、婦人諸病」に御利益があり、御神徳を受けた人が男根を象徴した焼物を供えるのが
ならわしとなっています。天和3年(1683)頃から信仰が起こり、
近年では中国地方はもとより、九州方面からも御利益を求めて多くの人が訪れます。
大祭日は12月の第2日曜日となっており多くの人で賑わいます。

消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、
この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。
社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、
年壮にして激甚な消渇(婦人病)に悩まされ、遂に立つことができず、死に臨んで
「私は今消渇で死ぬが、叶えられるなら霊神となって私と同じ様な種々な病に悩む婦人を守護しよう。
どうかこの地に神と祀ってもらいたい。」
と言い残したので、人々はこれを消渇様としてあがめ祀ったのがそもそもの始まりとされています。

ではご紹介しましょう。紹介文中にもありますが
「男根」が出てきますので、ご了承ください。



ではご紹介しましょう。道は広くはないですのでお気をつけて。



駐車場も完備されています。管理人は写真の関係で隅っこに。



駐車場からは遠くありません。道すがらには・・・


では全景と、見難いですが額束に『消渇』の文字です。




先に本殿にお参りしました。



文字通りの鬼瓦。


おそらくは昔の物でしょうが、瓦も展示(?)されています。



では振り返って境内の様子を。大きな石灯篭が印象的です。


右手のお地蔵様のような石仏と、祠の中のお供えを。




お地蔵様のお顔の柔和なこと。霊験新なんでしょう。



神社までの道は、7月の豪雨で相当数の土砂崩れが発生しておりました。
しかし神社本体は何事も無かったように荘厳な雰囲気を保っております。
先も申しましたが車無しでは厳しいですが
ぜひお参りください。