井笠鉄道記念館

1971年(昭和46年)4月1日、井笠鉄道の鉄道部門が廃止されました。
管理人はその日の記憶もありますが、実のところは特に思い入れもなく
昔はここに鉄道が・・・と思い出話をするくらいです。


少し昔の写真です。記念館とはいいながら多少くたびれた姿でした。


ところが先日通り掛かりましたところ、明らかにお化粧直しされています。
その様子を見に立ち寄ってみました。
まずは駐車スペースですが、記念館の南側に数台の駐車スペースがあります。
目印は『腕木式信号機』ですね。


駐車場側からの写真です。今回は閉館時間ぎりぎりだったのですが
写真の管理人様に色々と興味深いお話を伺うことができました。



記念館ご紹介の前に、紹介されている看板や展示物から。





記念館は、当時の『新山駅舎』がそのまま利用されています。

この後は写真の紹介だけになりますので、お聞きしたお話より。
井笠鉄道株式会社が破産した後、地元自治会を中心に保存活動が高まりました。
笠岡市教育委員会の理解も得て、自治会管理になっているのですが
遠方からのボランティアの力添えもあり、現在(2016年5月27日)は
車両の塗装直しや可動部の磨き、信号灯の寄付など
ありとあらゆるご支援をいただいて、感謝に堪えないということです。
また、石炭でボイラーをたくことはできませんが、コンプレッサーを利用して
警笛も鳴る様になっていました。もちろん『ポッ・ポーーー』と体験してきました。


以下は説明文なしで、思い出の写真とさせていただきます。
初めて単焦点レンズを使用して、『機能美』にこだわりました。
また小学生当時は思わなかったのですが、今客車に入ると
「小さい!!」としか感じないのも、時の流れでしょうか!?
























いつの日か、青空に真っ黒い煙を吐ける日が来ますことを・・・




廃線の頃、管理人はボウリング場下の駅舎で駅員の皆さんとキャッチボールをして遊んでいました。
貨物車に乗って手動で動かしたり、ポイントを切り替えてもいました。
また若い人には信じられないかも知れませんが、当時は列車が近づくと
踏切番のおじさんが、赤い旗を振りながら手動で遮断機を降ろしていました。
                  今思うと、良い経験なのでしょうか?!!