太閤立志伝Xプレイレポート
1582年3月15日
「どうなる事かと思ったが、何とか織田家に仕えることができたわ。
後藤勝基 次の評定は5月か。それまで何処かで修行でもするか」
そういって安土城下にある道場を訪ねた。
勝基は槍術の達人である。道場の門下生をことごとくなぎ倒した。
「ふーう、やり過ぎたわ。すまんのう。ハッハッハ!」
後藤勝基
4月15日、突如信長から呼び出しを受けた。
「皆!今から伊賀の里を攻める!準備せい」
織田信長
伊賀攻めであった。
伊賀の里は徳川家に従属していて、これを攻めると徳川家との関係が悪くなると
反対の声もあったが、結局信長の独断で伊賀攻めは決行された。
伊賀に入った織田軍は、神社・仏閣・民家を徹底的に破壊し、帰還した。
これが天正伊賀の乱である。
「ワシに従わん者は、誰であろうと殺す!」
織田信長
(これが信長様か…)
後藤勝基
予想以上の魔王っぷりに、さすがの勝基も驚きを隠せなかった…。
5月1日、評定の日がやってきた。
「佐々成政の富山城が上杉軍に攻められておる。
織田信長 故にこの援護に向かおうと思う!
信孝、堀直政・秀政、藤堂高虎!以上の者は準備いたせ!」
(ワシは留守番か…。新参者じゃから仕方あるまい…)
後藤勝基
勝基は再び道場に向かった。
そこで20日ほど修行をし、抜け槍と鉄壁を覚えた。
9月になった。
「武田軍が我が木曽福島城を攻めておる。この救援に行こうと思う。
織田信長 総大将は信孝、お前に任せる。
以下、藤堂高虎、堀直政・秀政、後藤勝基は出陣の支度をいたせ!」
(おお!いよいよワシの織田家での初陣か!)
後藤勝基
勝基は騎馬隊1500を預けられた。
バリバリ活躍しようと思ったのだが…
織田13000の大軍を見て、武田軍はあっという間に撤退してしまった・。
「なんじゃつまらんのう!
後藤勝基 あの天下に聞こえた武田軍もここまで衰退しておるのか…」
勝基は少し悲しくなった。
11月、衰退気味の武田家に最後の留めを刺すべく、
織田信孝を総大将として13000の軍で甲府城を目指した。
勝基も騎馬隊1500を率いている。
7日、甲府城を包囲して、いよいよ合戦となる。
篭城する武田軍は12500の兵である。
両軍は矢を射ち合い、しばらく揉みあったが、次第に篭城側有利になってきた。
(やはりほぼ同数の兵が篭る城を落とすなど愚考じゃ!)
後藤勝基
しかし8日、岡山城の宇喜多軍15000が織田方に加勢した。
「それ!かかれー!備前武士の強さ、天下に見せつける!」
宇喜多秀家
宇喜多軍の総大将は、まだ9歳の秀家であった。
(宇喜多じゃと!?そうか宇喜多家は織田に従属しておるのじゃ。
後藤勝基 しかし共に戦うことになるとは…。無念じゃ…)
しかし宇喜多軍の加勢により26000に膨れ上がった寄せ手の猛攻により、
篭城方がやや不利な状況になってきた。
これを受けて、武田軍は忍者・戸隠衆に援軍要請の使者を出した。
17日、戸隠衆が甲府城に到着したため、野戦となる。
織田24000と武田17000は死力を尽くして戦い、結果は織田軍の完勝であった。
武田軍は甲府城に敗走して体制を整えようとするが、
織田軍の猛攻に遭い、遂に和議の使者を出してきた。23日の事である。
武田勝頼「負けたわ。信孝殿。ワシを織田陣営に加えてくれぬか?」
(信長様だと間違いなく斬り捨てるであろう。
後藤勝基 じゃが、信孝様だとどうするかのう)
勝基は意外にもあっけなく降伏してきた勝頼に、少し不満気だった。
藤堂高虎「信孝様、ここは勝頼を生かすべきかと。
もしここで殺してしまえば、甲斐・信濃の武田残党が必ずや兵をあげるに違いありません」
知的な藤堂高虎が信孝に助言する。
織田信孝「高虎の言うとおりじゃ。勝頼の降伏を認める!」
こうして武田家は織田陣営に加わる事になった。
信長の天下統一は、また一歩近づいたのである…。【つづく】