岡山県農業発動機業界の沿革

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 わが国で初めて石油発動機が使用されたのは、大正6年北海道に農産加工機械用原動機として、米国製アルファー2馬力が輸入された。岡山県においては、大正8年に北海道の日の出商会より米国製アルファーが初めて、上道郡西大寺町(現在の岡山市西大寺)で揚水作業の原動機として使用された。農業機械化の第一歩となった。しかし、発動機に関する研究は大正7年頃から始まり、岡山県業界の先駆者、(注)馬上常二氏は同年米国製インターナショナル機、ウイッテ機を購入し研究実験した結果、ウイッテ型による発動機を大正9年に完成した。

(注)

馬上常二氏は明治25年1月岡山県邑久郡長浜村(現在の邑久郡牛窓町長浜)に生れ、大正6年に同郡牛窓町で鉄工業を開業。同8年に岡山市下石井に移転、馬場鉄工所を設けて発動機の制作を開始した。 

(県による普及促進施策の実施)
 県農業会は他府県に率先して動力農機具の利用増進、改良発達を促進するため、大正9年8月、上道郡西大寺町西大寺観音院境内で実演会を催した。これが動機となり、米国、ドイツより各種機が輸入されたが当時としては高価なこと、機械の知識がなく普及は困難であり、児島湾開拓地の揚水用、外に使われる程度であった。 大正13年〜15年には、発動機メーカーにより全国生産は、月産500台程度で岡山県が40%を占め、販売台数は県内80%、県外20%であった。 

(発動機王国岡山)
 昭和10年より県内製造メーカーが増加し生産台数も上昇した。また昭和11、12年頃は、岡山市を中心に年産17,000余台(最盛期年間25,000台)で全国生産の60%を占めた。一方輸出は昭和7年朝鮮をはじめとし年間6000台程度輸出されていた。

※ 『岡山県陸用内燃機関工業協同組合50年の歩み』より引用する。

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