溶血性連鎖球菌”バチルス・クドラク”。
此の星最強の生命体”長生種メトセラ”と切っては切り離せぬ存在である。
彼らは呼吸する術を持たず、宿主の赤血球を喰らっては酸素を取り入れる。
よって長生種達は先天性貧血症を抱えており、貧血から来る”渇き”を癒す為に血液を摂取するのだ。
また銀はバチルスの活動を停止させる作用を持ち、紫外線はバチルスを暴走させる。
だが其の代わり、バチルスは長生種達に地上最強の身体能力、免疫力、長寿を提供するのだ。
仮に、である。
彼らが自発呼吸をする細菌であるとしたら。
銀への耐性を持っているとしたら。
紫外線による暴走性を遺伝子操作で無くせるとしたら。
それでも尚、酸素供給源としての宿主に変わらぬ利益を提供してくれるとしたら。
To live, everything was thrown away.
「…貴女は人間で在りながら、同時に吸血鬼の身体能力をも兼ね備えている 違いますか?」
カテリーナは極めて冷静に、かつ簡潔に結論を紡いだ。
至極柔らかで甘やかではあるが、何一つ読めぬ声音であった。
其れ等の要素は寄り集まって、の心臓を握り潰さんばかりに弄ぶ。
”人間”から”吸血鬼”に”転向”する者は確かに存在する。
それはある時には遺伝が原因であり、またある時には吸血被害が原因でもある。
そして”転向”した彼等は二度と人に戻る事無く、昏い夜を生きる事となるのだ。
だが この少女は違う。
人間を遥かに凌駕した力や唇から覗く牙を持ってこそいるが、吸血鬼特有の”渇き”の兆候が見られない。
実を言えば、カテリーナはトレスに命じて彼女から大量の採血を行わせていた。
普通ならばこの時点で、大抵の吸血鬼は”渇き”に襲われ理性を失くし暴走する。
だからこそもしもの場合を想定して、アベルを付き添わせていたのだ。
「違いますか?」
沈黙を許さぬ声音で、カテリーナは再度問うた。
片眼鏡の奥の剃刀色の瞳が鋭く細められる。
遂に、緩慢ではあるが少女が顔を上げた。
ゆっくりと緋色の麗人を見据えた其の瞳は、光こそ存在するが何も語らない。
紅も引かないのに、厭に紅い唇が振動する。
「…いいえ?」
「 訂正の必要な箇所は?」
「寸分も違わないわ…ええ、私はバチルスの保因者 出来損ないの両性具有者ハーマフラダイト」
少女は薄く微笑んだ。
人でも無く、吸血鬼でもない中途半端で不安定な存在。
いよいよ困難を極めてきた事態に、カテリーナは柳眉を顰めた。
だが、を保護している事で天の采配はまだ彼女に傾いていると言えるだろう。
無論、其の対極に位置しているのは 彼女の異母兄フランチェスコ・ディ・メディチである。
妹を政治的に失脚させる為であれば、彼は何をも画策する男だった。
其れだけではない、最早幻影に過ぎぬ教皇庁の権威に心酔し、有能だが慎重とは疎遠な人物である。
軍人と見間違う容貌と性格、彼の情熱は”長生種”及び彼等の国家である”新人類帝国ツァラ・メトセルート”
の殲滅に注がれていた。 慎重派であり”世界の敵コントラ・ムンディ”の存在を危惧するカテリーナにとっ
ては、目の上の瘤以外の何物でもない。
夫妻の研究、の存在の情報を手に入れたのは真実幸運だった。
もし其れ等を兄が、”世界の敵”どもが手に入れていたらと考えるだけで背筋が凍る。
彼等は喜んで世界を滅ぼす為、非人道的な使い方をするだろう。
は生きた核爆弾なのだ。
其れは決して誇大している訳でも冗談でもない。
だからこそ爆弾を、彼女をカテリーナ自身が手懐けなくてはならなかった。
如何に”鉄の女”と言えど、其の冷徹さは真の平和を希求する事から来ているのである。
敵に回せば厄介だが、味方にすればこれほど心強い人物もいない。
に彼女の存在の重要さを説き、理解させねばならなかった。
そしてまた、の言葉の片鱗から読み取る事の出来る彼女の知能の高さ。
其れが指し示すのは可能性 何としても、手は打たねばならなかった。
だが”鉄の女”はその様な考えは億尾にも出さず、嫣然と微笑み返す。
「………貴女と取引があります」
「あら、其れはさぞ面白いのでしょうね」
もうの顔色を窺ってはならなかった。
取引は対等か優位であるのが基本だ。
何処かしら侮るかのようなの笑いにも、カテリーナは其の剃刀色の眼光を弱める事はない。
「貴女は現在、様々な組織から追われる立場にあります。
例えば…教皇庁、吸血鬼、その他様々な犯罪組織などが挙げられるでしょう。
貴女の情報を掴めば、彼等は貴女を貴重な”資料”として手に入れようとする筈です」
「”教皇庁”?可笑しな事を言うわ…貴女も教皇庁の人間でしょうに」
「…私達が全員同じ考えの元に同じ手段を使っているなどと、誰も言ってはいません」
分かり切っていた。
だからこそ両親は自分と研究を必死に隠し続けてきたのだ。
あの 薄暗く白い部屋に。
流麗な口調で、カテリーナは芝居の台詞でも読み上げるかの様に尚も続けた。
小鳥の囀りより甘美で在りながら、語る言葉は刃よりも鋭い。
「私個人の意見としては、貴女を過激派組織に引き渡したくはありません。
貴女が実験体にされ、解剖されるなどと言う事態になるのは忍び無い」
「…心にも無い事をよく言えるわね。もっと率直に言ってくれないかしら」
だが、其の甘やかな言の葉の隙間には鋭く切り込んだ。
相変わらず雄弁な双眸は、回りくどいと、腹を明かせと語っている。
変わらぬ気高さ、彼女が持って生まれただろう其れは緋色の麗人に負けてはいなかった。
カテリーナは細い溜息を洩らす。
す、と片眼鏡の奥の剃刀色の瞳が細められた。
「 其処で、取引があります…貴女の身の安全は私が保障しましょう」
「…条件は?」
「 貴女には履歴を全て抹消し、派遣執行官となって貰います」
二つの視線が交錯する。
其れは剣呑でも威圧でも無く、憎しみから来る物でも見下す物でも無く。
まるで其処だけ次元が違ったかの様に、時間は酷く長く思われた。
やがて、沈黙はが口を開いた事で静かに崩れる。
「貴女に忠誠は誓わない」
僅かに躯を揺らしながら、は喉の奥で嗤った。
問いとは全く無関係な答えに、女枢機卿は訝しげに柳眉を顰める。
「心配しないで、貴女の言う派遣執行官とやらにはなってあげるし、背きもしないわ」
「ただし、私に忠誠は誓わない と?」
「…そう、貴女には私の保護者スポンサーになって貰うだけ」
カテリーナが少女の言葉の意味を理解したのは、彼女にすれば遅いと評される三秒後の事。
揶揄するか様に語り、絹糸の如き髪を掻き上げては再び嗤った。
だが、次の瞬間その表情は彫刻の様な無表情となっている。
不気味な程の変貌を遂げた少女は、発した声までもが打って変わって静かであった。
「 ただし、もう一つだけ条件を呑んで頂戴」
生きられるのなら、もう何でも構わない。
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