Where is a warm hand? Nobody teaches.










          「あ、気が付かれましたか」
          「………………!?」


          春の陽光のような、酷く穏やかな声に呼び戻された意識。
          驚いて眼を見開けば、きらきらとした光に眼が眩む。
          固く瞑って、そっと瞼の力を緩めると、其れは銀髪に光が反射していた所為だと知った。

          冷たい真冬の月を思わせる銀髪を戴いた神父は、先程と変わらぬ優しい声でベッドの少女に問う。


          「何処か痛い所とか、気分が悪いだとか言う事は無いですか?」
          「…貴方は誰、如何して私は此処に居るの」


          だがそんな神父の気遣いを少女は無視し、剣呑な口調で問い返した。
          続いて緩慢な動作で身を起こすと、柔らかな毛布を鬱陶しげに跳ね除ける。
          さらさらと流れる髪の間から神父を睨む其の瞳は、手負いの獣の様に凶暴で何処か気高い。
          しかし、少女のそんな気迫にも微笑を崩さず、彼はゆったりと答えを返した。


          「此処は飛空挺『アイアンメイデン』の中です」
          「………………」


          不機嫌、否、其の表現では足りない程の嫌悪の表情を浮かべて少女は答えない。
          この程度の答えでは足りないと言わんばかりに、ついと横を向いた。
          神父が彼女の手元に視線を遣ると、如何にも肌触りの良さそうなコットンの寝巻きの袖を握り締めている。
          相手の逆鱗に触れない様、そっと柔らかく言葉を付け足した。


          「すみません、今は私の口からは此れ以上のお話は出来ないんです」
          「………理不尽ね」
          「………………ええ」


          訝しげに彼女の眉を顰めさせたのは、神父の思わぬ返答。
          思わず少女はまじまじと相手の顔を見た。
          其の視線に一瞬きょとんとした表情を浮かべ、神父は心なし頬を染めて笑う。


          「やだなぁ、そんなに見つめられたら顔に穴が開いちゃいますよ」
          「………は?」
          「あ、私アベル・ナイトロードと申します。自己紹介遅れてすみません」


          この男   アベルとやらが一瞬前に見せた真剣な顔は一体何だったのだと、少女は混乱していた。
          挙句には右手を掴まれ、上下にぶんぶんと振られて握手を強制される始末である。
          自分の手より遥かに大きな其れを振り払う事も忘れ、彼女は固まっていた。


          「そうだ、貴方のお名前を聞いてませんでしたね。是非教えて頂けますか?」
          「………………
          「さんですか〜。そうそう、服を着せ替えたのは私じゃありませんから!ケイトさんという人ですよ!」
          「………………………………」


          やっとの事で搾り出した声は、蚊の羽音よりも虚しかった。
          拳を握って、何故か必死に弁解する神父を前にはもう何も言えない。
          しかし相手が冷めに冷め切っている事など露程にも知らず、神父は一人熱弁を振るっていた。


          「いやー、でもさんのお名前のって響きが良いですね!…」
          「………………」
          「あ、何か由来でもおありですか?ははン、さてはご両親が   


          お世辞でも言っているのだろうか   其れにしては下手にも程があるが。
          誰かが『気色悪い』と冷水でも注さなければ、アベルの感想は延々と続いていただろう。

             だが、唐突に其れを終わらせた原因を作ったのは他でも無い、彼自身だった。










          「………、さん。あ、あの、お気に触ったなら謝罪………」
          「      黙りなさい」
          「いえ、………本当に私、不躾な事、を」
          「         黙りなさいと言っているでしょう!!!」


          半ば悲鳴の様な少女の叫びは、冷たい床に砕けて消える。
          海馬に留め置かれた、彼女の忌まわしい記憶は彼女の脳内でフラッシュバックしていた。
          其れを覚醒させたのは、今や顔色蒼白となった   アベルの言葉。

          そして彼の喉元に巻き付き、恐ろしい力で締め上げるしなやかな手は、紛れも無いの物で。


          「そうよ、あの男は何処に居るの………?」
          「ア、、さ」
          「殺してやるわ   私の両親を殺してくれた様に   


          先程、彼女の手を包んでいた暖かな手は、素っ気無く床に放り出され、既に痙攣を始めている。
          アベルの上に馬乗りになり首を締めながら、場違いに酷く優しい声では喋った。
          頚動脈の血が止まり、呼吸も侭成らない神父だけが、其の独白を聞いている。

          少女の豹変に対する驚きと、何かに思い当たり繋がった、恐怖とが綯交ぜになった蒼い瞳。
          射る様な、と表わすには脆弱な神父の視線を、少女は冷笑一つで叩き落した。


          「………貴、女は………真逆………!」


          其の腕の細さに反した恐ろしいまでの力、吊り上がった紅い唇から垣間見得た長過ぎる犬歯。
          最早鬱血して赤黒くなった顔で、アベルはやっと其の答えを搾り出した。


          「………ヴァ………ヴァンパ、イ、ア………!!!」










          「                  お止めなさい」










          プロの管弦楽の調べよりも遥かに甘く、其れで居ながら鋼鉄よりも冷たい声が少女を刺した。
          只一言呟いただけなのに、其の声は狭い室内に朗と響いたのである。

                続いて。


          「   其処までにしておく事を推奨する、


          呼び掛けられた本人が相手を確認するより速く、彼女の後頭部には世界最大の拳銃。
             ジェリコM13こと“ディエス・イレ”が突き付けられていた。
          ゴツリと固い感触に少女は緩慢に振り向き   刹那、憎しみに目を見開く。


          「貴様………っ!!!」


          彼女の瞳には。





                   緋色の法衣に身を包んだ麗人と、彼女の忠実な猟犬とが映っていた。










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