白くなる視界の中、厭でも目に付いたローマ十字と僧衣。










          What it remained in is the feeling of nothingness without one and a place.










          「…ううっ、酷いですよトレス君…私だけにあんなモノの相手させて自分だけ先に行くなんて…」


          ひょろりとした体躯の銀髪の神父   アベル・ナイトロードは一人愚痴を零した。
          彼の僧衣は最早ズタボロで、只でさえ情けない風体をより一層酷くしている。

          つい先刻。
          この研究所内に侵入したのを気取られた一分後の事だった。





          『トットットットレス君私を置いて何処に行くんですか?』
          『何を言っているナイトロード神父。これは予定通りの事態だ』
          『予定通りィ!?私そんなの聞いてませんよ!!!』

          アベルの周りを取り囲む奇妙な生物   否、其れは生物『兵器』であった。
          眼の無い人間の上半身だけが腕で蠢く様は、見ているだけで気分が悪くなる。
          グエェ、と人間には出し得ない声を上げて、其れ等は蜘蛛が這う様に囲いを狭めて来た。

          しかしそんな生物兵器の真っ只中にアベルを残し、殺人人形は先へと向かっていた。
          アベルの泣き声に振り返った小柄な神父は、鋼鉄の声で以て返答する。

          『そもそもこの任務は俺が主体となって遂行する物であり、卿は補佐として赴いている』
          『いやだから私はそんなのは聞いてないんですよー!』
          『否定ネガティヴ。93780秒前、卿と俺はミラノ公から確かに任務についての説明を受けた』

          そう、世界一美しい枢機卿   カテリーナ・スフォルツァは確かに事細かな説明を彼等に行った。
          アベルが………彼女の執務机の上に置かれた菓子に、目も心も奪われている間に。

          『よってこの場の処理は卿に任せ、俺は救出へ赴く事とする』
          『え?え!?トレスく      ん!!!???』

          そう素っ気無く言い残すと、小柄な神父の姿は入り組んだ通路の中へと消えていった。
          後に残されたのは顔面蒼白の神父と、彼を取り囲む生物兵器。

          数秒後、規則正しい遠ざかって行く足音と情けない悲鳴と銃声とが建物の中に響いた。





          「うう…主よ、私の人生どうしてこんなに虚しいんでしょうか…」


          瞬間的に辺り一帯に黴が生えんばかりの暗さと湿っぽさで、アベルは虚空に向けて十字を切った。
          其の声は次の瞬間には過度に白い壁にぶつかり、跳ね返って消える。
          とぼとぼと歩く哀愁漂う背の高い後姿が、やけに同情を誘っていた。


          「さて…トレス君はもうさんとやらを救出されたでしょうかね」


          いらぬ心配ですか、と自らの発言を首を振って否定する。

          此処に入ってから外を見ていない、と長い廊下を歩きながらふとアベルは思った。
          否、外を見ていないのではなく窓自体がないのだ、という事に気付いたのはその直後である。

          不気味な薄暗さを抱くこの建物に、アベルは何処かしら背筋が寒くなるのを覚えた。
          牛乳瓶の底の様な丸眼鏡の淵を押し上げ、ぼそりと問い掛ける。


          「………で、ケイトさん。トレス君の居場所を教えて頂けませんか?」
          <勿論ですわ、”クルースニク”。其処の廊下の突き当たりの左側の壁に隠し階段のスイッチがありますの>
          「えーと…左側の壁…あ、此処ですか」


          神父の問いに答えた者の姿は見えない。
          何故なら、この会話は耳朶に付けたカフスでの無線会話だからだ。

          アベルは会話の相手   シスター・ケイトの言った通りに廊下の突き当たりまで走った。
          そして白無垢の壁をごそごそと探ると、やがて小さな扉を見つける。


          <見つけられました?その中にありますから押しちゃって下さいな>
          「失礼ですねぇ、そんなに説明されなくってもちゃんと見つけられますよ」
          <あらあら、これはとんだ失礼でしたわね>


          おほほ、と軽やかに笑う女の声に顰め面をしながら、アベルは赤い丸ボタンに乗せた指に力を込めた。
          次の瞬間、地鳴りの様な音と共に壁が横開きに開く。


          「わっ…!!!」


          轟音と共に、辺り一面に広がる白煙に神父が噎せた。
          ゲホゲホと盛大な咳を披露しながら、静まって行く白煙の向こうを見据える。
          現れたのは重厚な石造りの階段であった。


          <其れが”ガンスリンガー”のいる最上階の部屋に行く通路ですわ>
          「そっ…そうですか…ところでケイトさん」
          <何ですか?>


          淡々と説明を続けるシスター・ケイト   ”アイアンメイデン”に、蒼白の表情で神父は問い掛ける。
          その声はあまりにも暗く、彼のそんな声を聞き慣れている尼僧でさえ一瞬驚く程の物であった。


          「最上階って…今仰いましたよね?」
          <え…ええ>
          「エレベーターとか…ないんでしょうか?」
          <………………>


          神父の言わんとした事が分かったのか、尼僧は口を噤み沈黙を作る。
          しかも其れは沈黙でありながら、何処か呆れている様な雰囲気のする物だった。
          たっぷり十秒は経っただろうか、やっと尼僧は口を開く。


          <…ナイトロード神父、任務の最中に何を仰っておりますの。ご自分の足でお登りなさい>
          「私、体力には自信ないんですってば…ケイトさぁぁん」
          <お登りなさい>
          「うう…主よ、私の人生やっぱり酷過ぎます…」


          ぴしゃりと言ってのけられた言葉に神父は只項垂れる事しか出来ず。










          かくして、アベルはとぼとぼと最上階までの道程を登って行く事ととなったのだった。










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