「…っ…あ…やめ、っ…」
「よく言うよね 君だって止められないクセにさ」
決して甘いとは言えない睦言が、微かな吐息に乗って暗い部屋に満ちる。
ままならない四肢を拙く揺らがせて、少女は唇を噛み締めた。
鋭利な牙が除くのも気に留めず、直ぐに錆びた鉄の味が口内に広がる。
「あーあ…我慢したら駄目だって言わなかった?僕」
「く、うっ!…あ…あ…」
途端、少女の固く噤まれた唇が開いた。
しかしそれは、青年の言葉に彼女が素直に従った為ではない。
その証拠に、少女の双眸にはありありと驚愕の色が浮かんでいた。
「…っ…あうっ…」
「そう 素直な子は好きだよ、」
言葉も紡げぬ程息も絶え絶えな少女とは対照的に、天使の美貌を持った青年は酷く楽しそうに嗤う。
そのまま彼女の唇から流れる血を舐め取って、彼はその白磁の頬を優しく撫でた。
071:聖女
「 ディートリッヒ、そろそろ放して」
「どうして?」
「どうしてって…分かってるくせにしらばっくれないで頂戴」
名前を呼ばれた青年は未だ夜の明けぬ部屋の中、微笑みを浮かべた。
だが、見る者全てを魅了する様なその美しさにも少女は苛立だし気な視線を遣っただけだ。
こちらもまた、容貌、動作どれを取っても言葉に尽くし難い繊細さを持っている。
そしてその繊細さに似合わぬ、棘を孕んだ言葉の訳 それは今彼女を拘束している物に対してだった。
「”糸”を使用した上でこんな物は必要ないと思うんだけど」
「ああ…これ?」
まるで心臓の鼓動を聴くかの様に、の胸元に頭を乗せていた青年は少女の苦情に手を伸ばす。
繊細な指先が撫でたのは、少女の両腕を縛り上げた紅いリボン。
その紅は白い肌に恐ろしく映え、彼女の血潮を描いたかの様に存在を誇っている。
「ふしだらな聖女様には丁度好いかなって」
「 巫山戯ないで、誰が聖女よ」
だがキリキリと柳眉を吊り上げ怒りを露にする尼僧には、不愉快以外の何物でもなかったらしい。
本気で怒る少女に聊かも慌てた様子を見せず、ディートリッヒは珍しく謝罪の言葉を口にした。
「ごめん だって君の爪で心臓を抉られたくなかったからね」
「建前でしょう、貴方の嗜好抜きだなんて思ってもないし言わせもしないわ」
「…バレた?」
「私を馬鹿にしているの?」
今まで貴方の肌に傷一つ付けた覚えは無いわよ、と言い切る少女に青年は苦笑を返す。
だが、彼女の四肢の運動神経を奪わなくては睦言も囁けないのも事実だ。
理性を喪失した状態の半吸血鬼ハーフ・ヴァンパイアに、背骨を折られるのは何としても避けたい所である。
尼僧の艶やかな髪を梳く振りをして、青年は華奢な肢体に極めて自然な動作で覆い被さった。
未だに自由にならぬ彼女の四肢、真っ直ぐな双眸だけが不満を語る。
「本当に困った身体だよ」
「それでも抱きたがる貴方の神経の方が信じられないわ」
「 キスも自由に出来やしない」
「…っ」
軽口で織り上げられる応酬の中、突如として彼は紅い唇を奪った。
ゆっくりと影が離れれば、どちらの物か、微かに荒い吐息が肌を滑る。
しゅるり、掠れた音がして、細い影が静かに床へと落ちた。
もう何度、肌を重ねただろう。
出逢いは、敵として対峙した戦いの最中。
遺失技術ロスト・テクノロジーの前に、為す術も無く倒れたをディートリッヒは当然の様に嗤った。
『威勢はいいけど、実力が伴ってないのを虚勢って言うんだよ 知ってた?』
『…そうね、貴方の様な目的も何も無い、只のサディストなんかに負けて悔しいったらないわ』
何よりも雄弁だった、少女の双眸。
真っ白だった尼僧服は、泥に塗れ血に汚れ襤褸切れの様に破れていた。
瓦礫に埋め尽くされた辺り一帯の中で、言葉を話しているのは最早この二人だけ。
だが恐れる事などまるで知らぬ様に、少女は目の前に立つ青年に嗤い返した。
『…本当に口だけは減らないんだね』
『だって貴方”騎士団オルデン”の幹部のくせして、全然”騎士団”らしくないんだもの』
『 疑って申し訳ないんだけど、嘘はついてないわよね?』
これだけが たったこれだけが、始まり。
「…、”騎士団”に来る気はない?」
掠れた声が耳朶を打つ。
くすぐったそうに身動ぎした少女は、そのまま青年の鳶色の双眸から視線を逸らした。
暫くして、何時もと同じ返事がぽつりと漏れる。
「 言ってるでしょう、私は教皇庁ヴァチカンに縛られた身よ」
「僕とこんな事してても?」
「ディートリッヒ」
微かに笑みを含んだ問いを軽く非難して、尼僧は青年を軽く睨んだ。
だが、相手の瞳と同じ色の髪をくしゃりと撫ぜた指先は言葉と反対に酷く優しい。
「 貴方こそ何でそんなに正攻法で私に絡んでくるの」
「がうんと言ってくれなきゃ意味が無いからね」
「…”騎士団”はどんな手段でも使うと思っていたんだけど」
暗がりの中、見つめ合う二人の言葉は矢張り甘さなど欠片もなかった。
微笑を湛えたままの青年と呆れた様な表情をした少女。
しかし、言葉の合間に交わされる口付けや熱を孕んだ視線は、正に恋人以外の何物でもない。
そして人テランに、長生種メトセラに在らざる尼僧の指先に唇を寄せた侭、ディートリッヒは尚も言い募る。
「言っただろう、君の意思が肝心なんだ」
「なら期待には添えないわ…私はこの状況に甘んじていたい」
温く脆いこの危険な関係を捨てる気にはなれなくて。
本来その後に続く筈だった言葉は、思いとなるだけに終わった。
面と向かって言える筈もなく、彼女は青年に背を向けてシーツに顔を埋める。
その侭、部屋を静か過ぎる沈黙が支配した。
近付いてはいけない。
彼は”世界の敵コントラ・ムンディ”で私は”教皇庁ヴァチカン”。
だから、関係を持つなんて以ての外で。
謀られて食い物にされる事など日を見るより明らかなのに。
ちょっとした火遊びのつもりで始めただけなのに。
あの人に、振り向いて貰えない苛立ちから来ている刹那の衝動である筈なのに。
何故、こんなにも胸を抉られた様な痛みを感じるのだろう。
「 如何したら機嫌を直してくれるのかな、聖女様」
揶揄しているのか困っているのか、どちらともつかない声に尼僧の肩は揺れた。
心の中で葛藤を続けていた少女に、突然過ぎた問いかけは寝耳に水でしかない。
返事をする気にもなれなくて、は緩慢に首を捻って相手の花顔を仰ぎ見た。
「ねえ、如何したらいい?」
男でありながら、女より白く繊細な指先が尼僧の頬を滑る。
「私は 」
華奢で長い指を目で追いつつ、少女は言葉を途切れさせた。
否、途切れさせたのではなく、出て来なかっただけ。
少しの間、は視線を彷徨わせ、やがて青年の双眸にその焦点は定められた。
まるで取り残され迷子になったかの様な、不安げな眼差し。
ふ、と宥めるかの様に微笑んだ短生種テランの青年は、少女の耳元に紅を刷いた様に艶やかな唇を寄せた。
「分からない?」
「………」
珍しく素直に、こくりと頷いたに青年は今宵幾度目かの問いを投げ掛ける。
「なら キスで許してくれるかな」
無言で首筋に絡められた細腕が、答えだった。
END

まず最初に謝らせて下さい。
エ ロ く て ご め ん な さ い … !
ディートリッヒ書こうと思ったら己の才能が無い故にこんなのしか出来なかったのです。
生々しいの嫌いだし書いた本人がお子様なので表現控えめですが。(生温いとも言う)
色々と申し訳ありませんでした…。