「 奇遇、ですね」
曖昧に微笑むしか、出来なかった。
029:夜桜
仄かな月光が照らすのは、無数の桜に覆われた小道。
日の光の下では薄紅に染まる花弁は、今や青白く美しい燐火と化していた。
其処で歩いて来る彼の姿を見つけたのは、本当の偶然。
隊長の証の浅黄の羽織に牽星箝、何時もと変わりない姿にこんな時にまで、と心の中で密やかに笑った。
そして、そんな余裕を次の瞬間に払い除けた、己の速まった鼓動を厭でも自覚する。
挨拶して、無視されたらどうしよう、とか。 いや、それどころか横を素通りされたらどうしよう、とか。
師であり上司であり想い人である彼に、どう接すれば善いのか、其ればかりが脳内を駆け巡る。
静かに歩を進める相手との距離が次第に縮まる中で、収集の付かない頭が恨めしかった。
後十歩、後七歩、後五歩。
「 何をしている、」
「え…」
思いも寄らない、相手の言葉に出端を挫かれる。
彼の事だ、とっくに自分の存在に気付いてはいたのだろう。
だが、己の歩調を乱す事を嫌う彼がこの様に他人に声を掛ける事など普段なら無いに等しいのだ。
いよいよ混乱を極めた思考、継がなくてはならない二の句は何処かに消えてしまった。
「…何をしている、と訊いた」
「 あ、その、申し訳ありません…」
自分より頭一つ高い相手にやっと返せたのは、只其れだけ。
不可解だと言わんばかりの雰囲気を放つ彼に、もう駄目だと覚悟を決めた。
しかし。
「萎縮する事はあるまい…稽古の時の威勢は何処へ行った」
「…散歩を…夜桜を見たいと思いまして」
「そうか」
「 奇遇、ですね」
続けて、低い声で紡がれた呆れた様な言葉。
更なる意外に、返答した後曖昧に微笑むしか出来なかった。
きっと上手に笑えていない事だろう、いや、微笑むと形容出来る代物でもなかったかもしれない。
それでも隊長は立ち去る訳でも無く、只頭上に広がる桜花を見上げていた。
思わず、其の端正な横顔に見惚れる。
「 夜桜は好きか」
「はい」
今度は幾分か自然に出せた声。
相手の白い面に映える漆黒の双眸をゆっくりと捕らえて答えた。
「一人で花見など 寂しい事を」
「…慣れています…私の居た所には、花を愛でる者など居ませんでしたから」
しまったと、話の種にする様な言葉ではなかったと後悔したのは間髪入れた直後。
これも意外だが静かに謝罪されて、気まずさと申し訳無さにに思わず俯いた。
「…失言を致しました、お忘れ下さい」
「変に気を揉むな」
夜風に浅黄の羽織が翻る。静かだが取り付く島も無い舌鋒に、再度項垂れた。
この人が私情を何よりも嫌う事を知っていながら侵してしまった失言。知らず、眉間が寄せられる。
「だが 」
不意に、心地良い低い声が鼓膜を振るわせた。
叱責を受けるのかどうか等と考える暇も無く、反射的に顔を上げる。
そして、視線の先に不思議を見て、聞き取った言葉に不思議の片鱗を捕らえた。
「それ程までに桜が好きならば、今度屋敷の桜を見に来るとよい 此処よりも美しい」
「綺麗ですね」
上体を起こして雪を欺く肌を惜し気も無く晒し、腕の中の女は呟いた。
視線の先には、庭に植わった満開の桜。
僅かに芽生えた苛立ちに任せ、強く抱き締めて引き戻し、強引にこちらを向かせた。
「!」
「気に入らぬな」
同時に唇を奪えば、僅かな間呆然とした後頬を仄かな朱に染める。
その表情に、何を今更と喉の奥で笑い、澄んだ双眸を捕らえた。
「…何か、お気に触る事でも」
「 いや」
「顰め面で嘘を仰らないで下さい」
己が桜に嫉妬などしていた事に気付き決まり悪く否定をすれば、女はとっくに気付いていたのだろう。
耳朶に染み入る透き通った声が、くすくすと柔らかな笑みを零す。
そしてやんわりと嗜める其の声は心地良く、穏やかに夜の静寂を揺らがせていた。
「覚えていらっしゃいますか?あの晩の事」
「…ああ」
「あれより何度かお伺いしましたが…花見に来させて頂くだけ、のつもりでしたのに」
「………」
何が如何なりましたのやら、腕の中、女は他人事の様に再び笑う。
単調に、語る度に終わる睦言とも呼べぬ伽紛い。
それでも細々と繋がれるそれは、今此処に於いて欠く事の出来ない物だった。
最初は本当に花見だけだった、十数年前。
何時しか花を眺める二人の距離は短くなり、遂には花など見なくなった。
想いを告げた訳ではない。
想いを告げられた訳でもない。
それでも、言葉を交わさぬ侭に手を取り、女もまた抗う事はしなかった。
「 私は、お前に飽く日が来る事を懼れている」
不意に零された言葉。
女は驚いた様に目を見張ったが、 誰よりも一番、驚いていたのは己だった。
そして女は俯いて、静かに答えを返す。
「勿体無いお言葉、恐れ入ります なれど」
普段なら、決して逸らされる筈の無い双眸が逸らされた。
「その様なお言葉は、私に仰るべきではありません」
静かだが、はっきりと言い切られた言葉。
何処と無く予想していた通りの返答に、知られぬ様に細く嘆息した。
知ってか知らずか、女は尚も互いの間に一線を引く。
「私は 白哉様のご寵愛を受けてはならぬ身です」
分かっている。
自分がこの女を傍に置いているのは己の無聊を慰めて欲しいからだと。
最愛の妻を失い、彼女との思い出を依代にしか出来ぬこの身。
そこにある日突如として現れたは、何処か妻を思い出させた。
振り返る瞬間の顔、純粋な微笑み、落ち着いた物腰、悲しみを必死に隠す幼さ その、どれもが。
何時しか手元に置きたいと欲する様になり、やがて半ば無理矢理に手に入れた。
そして、悔いた。何故愛情もない心持ちで互いを傷つける様な事をしたのかと。
だが、この女は自分よりも先にこの不届きな心に気付いていて、それでも受け入れていた。
愚かな事に、自分がそれに気付いたのは女を手にした遥か後。
今も、は静かに己の傍に控えている。
並ぶ事も、寄り添う事も、向き合う事も無く。
「 終いだ」
「え?」
「話は終いだと言っている」
瞳を見交わし口付ける。
無理強いに黙らせる事で、女からも自分からも逃げた。
己の言葉に不安の色を瞳に浮かべた女を、今一度強く引き寄せる。
直視したくない現実から逃避する事も出来ぬ己が、只現実から視線を逸らす為に。
「 はい」
だが、これ程までに理不尽な命令にも、女は不平を言う事も無く従った。
やがて己の腕の中、静かに双眸を閉じる。
その陶器よりも白い肌の上に、桜花の花弁が一片落ちた。
END

やらしーの第二弾(笑)前回更新のディートリッヒよりかは幾分微糖な感じですが。
ごめんなさい、教育に悪いサイトで…(土下座)
雰囲気を重視すると後が見えなくなるんです…駄目駄目です音羽さん。
そもそもBLEACH部屋作っても無いのに兄様書いちゃってる辺り痛いです。
大まかにヒロイン設定説明すると、六番隊第四席で兄様とは師弟関係でもあります。
詳しくはまた設定ページを作りますので(何時の話なんでしょう)
…兄様の性格が微妙に違うのはヒロインに心を許しているからだと言い逃れしてみる。