「この講を読書するにあたって」
わたくしは和源神官という立場から様々な人のご相談を受けてきた。修行時代もどういうわけか問題を抱えた人が聞きつけて、諸々の相談に当たってきた、その人数をいれれば4千人以上の方々の話を聞きそしてお話をしてきました。
相談事の回数が増えれば増えるほど、現代日本が抱えている精神的な欠落を感じずにはいられなくなっていった。相談の方々とお話をする遥かな以前から、薄々と直感めいた日本精神の崩壊を感じてはいた。その直感は時と共に数多くの人々と話をするにつれ、その思いは強くなるばかりであった。現代社会の一端を垣間見た私の心は、悲哀に似た感情がいつになく顔を浮かび上がらせ胸を締め付けた。
悲哀の感情は、「男子は公(おおやけ)に役立つ人物たれ、その精神を持つが男子たる者である」との思いが時として私の涙腺を刺激することしばしばであった。
夜になく昼になく荒野を彷徨う冒険者のように、自分の宿命を思案する日々を過ごした。
男子として何ができるか?、神官とは何か?、祭祀者とは何か?、神道とは何か?、日本精神とは何か?・・・。様々直感しては推考し古書文献と格闘しそして論考する。その繰り返しで人生の大半を費やした。
日本精神をご存知の方はお聞きになったこともおありであろう「赤心」つまり「やむにやまれぬ心」が私を突き動かしている。
私は思う、論理とか思考とかそういった後からとって引っ付けた小理屈ではなく、日本や社会を思う「赤心」が人として大事なことであると。赤心なくしていかにかして社会問題と対峙するのか?。
現代に必要な精神は、物事を知ってうまく立ち回る利欲ではなく、自己だけの枠だけでなく自分も含めた他者や社会の問題を考え対峙する精神性である。
この精神性は日本精神の柱の一つであり、人間を人間らしくする物である。自己と公を心に宿し対極に位置する物事を中今という視点から最良の判断を下す、その精神は高度の精神的中庸を必要とする、故に自己の生き様を定める柱となるだろう。
生きている意味を聞きにくる人がいる。生きる意味を見失う理由の大半は、娯楽や利益や保身に考えが漬り人間として当然の物事を考えない根があり、容色が衰え利益が失われ見たくない現実を垣間見たときに生きる意味に不安を持つ人が多いように感じた。
とりとめなく書き綴る事となってしまったが、心ある人なら理解できるであろう現代社会に必要な精神性の獲得。
このような稿を書くことをずいぶんとためらった。
何故か?、わたくしに人生を託してくれている者、私を信じ賛同してくれる人たちのことを考え、心無い人たちの誹謗中傷妨害を恐れたからだ。
が、神道者が旗幟を鮮明にしなければ、日本精神の根幹を守護することなどできはしないと心した。心した私に向かって古き神々は微笑む。そして「精神の守護者たれ」と。
上記のような次第で書かれる稿です、文面表現の不適切な部分や語調の強い部分があると思います。それらを善意に解釈できる日本文化を大切に思っておられる方の為に書かれました。
ご理解の上お読みください。