何に対して?
 どうしてか?
 些細なことに・・・
 いらだつ自分。
 霊波の関係だろうか?、精神的に落ち着かない日が続いた。
 思考整理してもあまり効果が無い。
 和源の神さまにことわりを入れ神前に座す。
 朗々と定められた方法で、変わらぬ方法で、それが正しいがゆえに祝詞を奏上する。
 このような時こそ姿勢を正して神事の実践をするべき。
 正しい祝詞は自己の精神を真理に沿って導いてくれる。
 深く深く・・・深みへと。
 肌があわ立つ感覚がする。
 あわ立つが、それは静かだ。
 静かに静かに、重厚感が我を包む。
 和源の神々と波長が同調する。
 同調したと感じたとき、閉じた瞼の中に、いや、それよりも奥にある視覚力に見えるもの。
 雲?
 紫の?
 一定しない。
 紫の雲は一瞬でその姿を消し、それが窓となって現実の中の風景が見える。
 風景とは言えないかもしれない。
 それは新聞の紙面だったからだ。
 あっ!、と思った瞬間、幽界の世界から現世に我が意識が引き戻された。
 白昼夢ではない事は直感が訴えかけている。
 新聞を確認したい。
 しかし今は神前に自分はいる。
 落ち着け。
 姿勢を正し、退出の礼をとる。
 急いで別部屋の机の上の新聞を確認する。
 どこにあるんだ?
 次のページにあるのか?
 目は新聞紙面を追って追いかけていく。
 どこを探しても神前で見た紙面は無い。
 愕然とした気分だった。どこにも神前で見た新聞紙面が無いのだから・・・
 しかし新聞社は自分の家でとっている物だ。
 満足しない気分で、その日は過ぎていった。
 次の日も探したが紙面は一致しない。
 何日か同じ事を繰り返し、一致紙面が無く、次第に幻覚だったのかと思うようになった。
 神秘体験の確認に費やす時間が馬鹿らしく思えてきた夕方の事だった。
 何気に置いてあった新聞に目が吸い寄せられた。
 神前で見た紙面だ。
 神前でみた世界では内容を読めたわけではないが、何故か内容の意味を知っている。
 紙面を読んでみる。
 内容が一致している。
 何てことだ。
 未来の事を神前で見ていたのか・・・。
 神秘体験をすぐに確認しようとした自分の浅はかさ。
 神々が私を導くことを知っているのに、目先の事に躍起になった自分。
 神秘体験を確認したうれしさも、次の一瞬に恥ずかしいものに変わった。
 正しい神道をお稽古していけば、こういったことは自然に体験するものなのに・・・
 このとき自分は自分に言い聞かした「神秘は神道には当たり前、淡々と道を深めようと・・・」
 これが私の透視力初体験となった。
 



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透視力体験