神々によばれ赴く御神事
(金銭的に苦しくとも正しい道を行く事)
「凡そのものに表と裏があるように、神の道にも表と裏がある。年中行事や参拝者の祈願のお勤めをするのは表であり、
表を勤め上げ、さらに神々の試練を乗り越え神の御用をなす勤めあり。神々の神勅を浮世の裏で粛々と成すを誉れとする。」
「裏の神事(かみごと)に勤め成すに、表で養った曇りなく心が肝要であり曇りなき心が無くば、神の申される言葉と悪魔の声の判別はつかぬ。
神々に真っ直ぐで清浄な心で、緻密で神の言葉と似た偽の悪魔の言葉を見破るを心得よ。しかしながら見破るも至難なり、故に師は大事なり。」
朝拝をする。
朝神前に座して和源の神々に拝礼し祝詞を奏上する。
朗々と響く奏上する声。
自らの声が遠くに聞こえる。
遠くに近くに遠くに・・・。
声が聞こえた。
遠くですすり泣く
遠くから年老いた女性の声
頭の中にかすかに響く、意識を集中していなければ「気のせい」で終わってしまう。
しかし今は意識は神気の幽界の中にある。
聞き逃すはずも無いが、はっきりとも聞こえるわけではない。
声と同時に、場所が見える。
水が見える。
次第に自らの祝詞の声が近付いてくる。
意識は神前に座す自分の中にもどった。
地図を開く。
神前で知覚した場所を探すために。
○○県の西部ということは神託をいただいた時に直感している。
おそらくの場所を確認した後、経理箱を開けてみる。
思ったとおり厳しい経済状況だ。
知らない人は経費がかからず丸儲けをしていると勝手に思っている人がいるようだが、
神事に携わっていると裕福など今まで感じたことは無い。
さらに今月は人の世話が多く、収入になる案件が少なくさらに厳しい。
自分のお小遣いが無いことなど当たり前だ。
手伝ってくれている村上という女性に取りおきがあるか聞いてみた。
お取次ぎの経費にも余裕は無く、私のお手元金の底をさらって何とか往復交通費があるか・・・。
いつでも裏神事が可能なように外祭用の祭服をセットしてある、それを手に取りいちばん車の座席の安定するところに置いた。
祭服は神官の魂であり大切なものである。
つぎに寝袋を車に積み込み、水を数リットル、大きなタッパーにおにぎりを一日分と携帯食料の乾パンを一緒に搭載した。
地図を助手席に置き神託の地へ向かった。
そこは草の茂った山裾だった。
そこは何の変哲も無い場所に見えた。
そこは昇ってくる熱気に青臭さが立ち込めている。
そこをかき分けて進む。
そこは澱んだ池であった。
澱んで荒んだ空気が漂っていた。
心無い人間が汚し、近くの新興宗教の団体がその池のパワーを利用しているらしい。
おそらくその団体も代替わりしてその池の重要性が解らぬらしい。
その池はその近在の地脈の渦のバランスを取っているらしく、その池に近付けば近付くほどただならぬ物を感じる。
恨みの声すら聞こえてくる。
声は聞こえてもなかなか池の神霊は姿を現してくれない。
穢れた姿を恥じておられるようだ。
私は威儀を正すべくすばやく略式の祭服を身にまとい笏を手にした。
拝礼、祝詞に続いてお祓の五十鈴を打ち鳴らす。
丁寧にお供え物も清めていく。
一心祈念
丁寧に真心をこめて。
祈る。祓う。清める。
お祓いの五十鈴の独特な鳴らし方がある。
一振りづつに秘め詞(ひめごと)をとなえる特別な清めの五十鈴。
神聖なる祝詞に清まったお神酒を、池にそっと垂らす。
清めのお塩も少しお供えする。
もう一度お神酒をお供えする。
池の雰囲気が変わってきたがまだまだ清まっているには程遠い。
それに心無い人たちによっての穢れはどうしようもない。
ただ池の神霊をお慰めし、滞りある地脈を通してつなぎ、可能な限り清める。
それだけしかできない。また心無い人々によって汚されるであろうができる限りの事をしたい。
人のためではなく今は御神霊のために。
さらに祈りを捧げる。
一心に・・・
声がかすれてくる。
ただひたすらに・・・祈る。
喉が痛みを訴えてくる。
ひたすらに祈りを捧げる。
意識も朦朧とした中で感謝の言葉が聞こえてくる。
池の御神霊がお出ましあられた。
美しい。
はかなくも美しい。
優しき女神。
朗々と唱える祝詞、唱え続ける祝詞。
まさに私の前に人間に利用されるほどに優しい気をまとった美しい女神が幻視する。
私の胸は無性に悲しくあり熱くもあって、一言では語れぬ気持ちが心を支配した。
祝詞を唱えることもできず、女神と対峙する。
ただ心を通わせる。
そして人間の侵した罪をかわりに謝罪し頭を下げる。
「そなたに免じて許す」
そのように女神の声が頭に響いたとき、知らぬうちに涙が流れた。
嗚咽と共に流れ落ちる涙。
女神が消えてもしばらく立ち尽くした。
すでに日は傾き夜の帳が降りてきている。
気力を使い果たし動きも取れない。
どこか車中泊できそうな場所に移動し寝返り難しい車中泊となった。
朝起きても昨日の神事で使った気力は回復していない。
車中泊をしたということもあるだろう。
重たい体に鞭打って帰路につく。
どうしても長距離の運転ができない。
道の駅などで休憩を入れる度におもう。
子供たちが美味しそうにソフトクリームやフランクフルトをほおばっている。
それを横目で見ながら見ないフリをするかのように車の座席を倒して体を休める。
裏の神事は誉ある行いだと知っていても、下界の世界にもどって来ると空しさがある。
まじめに追求する人間が馬鹿を見る世の中なのか?
そう思ってしまう。
しかし帰れば私を待っている人々がいる。
気を取り直して、最後のおにぎりを口の中にほおばった。
目に見えぬから重要でないとか、解らぬから何でも壊してよいというものではなく、謂れには意味があることが多く大切にしなくてはならないものがある。
目に見えぬもの、それの重要性であり、恩恵であるその働きを知ったとき、自らできることの最善を尽くそうとするのは何も神官だからだけではなく、
人間として当然だと思う。
そういったことを無視して欲望に走る人間は、私の目から見たら獣に見えてしまうのは悪いことなのだろうか?。