大阪修行時代 なめてくる障害者たち 合気道の先生として
(ここでは当時使っていた障害者という語を使用しています)

「(会社の)障害者の子達の合気道の先生をして。」
「はい??。」
突然だった。
 それは突然だった。
 降って沸いたような災難に近いものだった。
 大阪に移ってまだ二ヶ月もたっていない、右も左もわからず会社は繁忙期に入る前のチリチリした時期のことだった。
なれない環境なれていない仕事、汗かきの体質も重なって体重も激減し体力的にふらふらとしたそんなときの事だ。
会社で合気道を障害者&近所の子供たちに教えていて、自分は入社した当初からサポートとしてそこに入っていた。
「オレハホジョデヤッテイルダケナンダガ・・・。」
心のつぶやきも虚しく逃れられない命令を受令した瞬間だった。
さて・・・
 この会社に来るまで障害者と呼ばれる人たちにあまり出会う機会が無く、別世界の人たちと感じていた部分があって不意打ちを食らったような感じだ。
 ところで障害者といったらどのようなイメージを持っていますか?
 山下清みたいな天才的な部分を持った人?
 体が不自由でちよっとカワイソウな人?
 弱くて純粋な部分がある人たち?
 そんな人たちなら今このような原稿を書くような、格闘記にはならない。
 それとは正反対の部分を多分に持つヤツ等だった。
 人目につかないと思っているらしいがちゃんと見えるところで障害者同士乳クリあっとるわ、手遊びしか興味の無いやつ、自分は障害者のボスだと思い込んでいるやつ、会社の自動販売機で仲間が飲み物を買っている瞬間に財布からジュース代をせしめるやつ・・・。
 書けばかなり長くなるので全ては書かないが、かなりなものだ。
 そういうヤツ等の担当者なわけだ。
 担当者(いつのまにかだが)になったわけで、どうにも自分の中の責任感とかいう物が頭をもたげてきて、あれやこれやと考えてしまう。
 どうせやるなら目標を持って当たったほうがためになるし。
厳格さといっても会社で皆から恐れられている人のような感じではなくピリッとして・・・、障害者の子達は怠け癖と運動不足があるから体を動かさせてやってくれと経営者から言われているのと、できれば楽しいのがいいなと、自転車通勤の合間や休憩時間、自宅アパートなどで悶々と・・・。
 というわけで、体力づくりと楽しさと厳格さを合一したような道場にしようと命令を受けて三日ほどで考えた。
 さあ当日だ。はりきっていこう。
 「整列!・・・・・・・。」
 「ちゃんと横に並んで始まりの挨拶をするぞ。」
 三・四度、声をかけてもばらばらとしか整列?整列にもなっていない。(朝のラジオ体操ではちゃんとやっているのに??)
 仕方が無いので介添えみたいに連れて行っては整列させ、ばらけては(いいかげん疲れてくる)微調整をして10分近くかかってやっと整列できた。
 「はい、これから礼という掛け声をかけるのでお辞儀をして、次によろしくおねがいします、と声を掛け合ってからはじめます・・・では礼!・・・??。」
 半分くらいの彼ら彼女らは余所見をして、ひどいヤツになると鼻をほじっている。
 私を見る眼にも馬鹿らしいとか、めんどくさいとか、なんでアンタなんかに指示されなあかんのとかという風な眼の中に暗い霧がかかっていた。
 初日は散々の内容で見るに耐えれないような(いや言うに耐えれないようなかな)ものであった。
 二回目も同じく障害者たちは徒党を組んでいるかのように、なめてきて初回とたいして変わりは無かった。
 期待してはいけないんだな・・・ではどうするか?。一週間悩み考え続けた。
 三回目の当日、神前。
 拝礼の後、身曾岐祓詞・大祓詞を奏上しつづけていくうちに、「やってみせ、言って聞かせて、させてみる」という言葉が胸の奥からわきあがってきた。
 ああ、自分から体当たりで率先して引っ張って行ってみよう。
 合気道の時間となった。
障害者と共に着替え室で、男子参加者に「今日は挨拶の後に道場を走るぞ、どん尻のヤツはもう一周な!。」と告げると、着替え室の男子に衝撃が走る空気があった。
その日は男子組と女子組に別けて理屈ではなく先ずは集団で体を動かさせてみる。サボるヤツがいても取り残される。
さあ、よ〜おいドン!。
サボタージュは誰もいなかった。
みずから率先して行う「率先急行」その心得が集団を動かす基となった。
  


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