大阪修行時代3 一ヶ月一万三千円生活・・・八ヶ月間
「神勅を魂に持つ者は、神々に導かれ苦難の坂道をただ一人登らねばならぬときがある。それすなわち試練の時なり」
二ヶ月に一回の水道代を支払った。
財布の中身はあと827円。
給料日まであと一週間・・・と少し。
一日に使える金額は100円を切っている。
どうしよう?
どうするべきか?
どうにかなるか?。
どうにもならないかも。
いやどうにかするさ。
どうしようもない円環思考が続く。
いざという時のために、給料日に買いだめしておいた保存食の数を確認する。
レトルトカレーに、袋ラーメン、同僚からもらった鍋焼きうどん、チャーハンの基・・・
ちかごろ大根を生で丸かじりしたくなる様な精神状態だ。
大根の丸かじりがしたくなるなんてまず普通じゃない。
普通じゃないのは自分でもわかる。
栄養失調か?、と思うくらいに鏡で見る自分は目が獣のような感じになっている気がする。
どうしよう。
どうするべきか?
そんな考えがずるずるとめぐり、ときおり経営者への愚痴も出てくるのもしかたがない。
そう・・・
どういうわけか、お試し期間の給与に据え置きが続いている。
ずっと田舎暮らしだったので、都会の暮らしは右も左もわからない。
なぜこうなっているのか?
解らないことだらけだ。
保存食の数は給料日まで数的にはある。
米の在庫もなんとかある。
保存食の在庫数から弁当に2日に一回はレトルトカレーを持っていくことができる。
ご飯がほとんどの弁当に昼は破損品のオカキを少しもらって(こっそりと)しょうゆをかけて、おかずにしていやまてよお茶漬けという手もあるか。
あとは水でごまかしてしまえば何とかなるか。
などと考えてみる。
考えてみるが円環思考で、考えることがバラバラでまとまりがない。
それに気付いたとき、手に水滴を感じた。
なんだろう?、と思ってそれをさぐる。
知らないうちに涙のしずくが頬をつたって落ちていた。
情けない自分。
どうしようもない自分。
何もできない自分。
ただ打ちのめされた気分が自分の中で広がっていく。
どうにもならない中で、隣のアパートの塀がすぐの開け放した窓から風が吹いてさらさらと通り過ぎていく。
さらさら、さらさらと。
風が自分に音を奏でている。
突然に詩心がわきあがった。
そうしたなかで「風のかなで」の詩が完成した。
苦しみに囚われるな、魂に神々の光は常にさしている。
それを忘れるな。
神々の光が常にあること、それを確信するために試練はあるに違いない。
苦しさに打ちのめされながらも試練である事を知っていれば、落ち込む自分を変えることができる。
それを学んだ。
科戸の神、息吹戸主の神(どちらも風の神)に感謝の祈りをささげた。