「大阪修行時代のでの体験のひとコマ」

 大阪での修行時代は村野猛先生の下で教えを受けていたが
日中はお勤めをしていた。
 朝、身支度を整え自宅の神棚をお祭り拝礼しその後、会社に向かう。
 お勤め先の会社も立派な神棚が祭ってありそのお世話も自分のものであった。
 朝静かな時間に神棚に拝礼する。
 拝礼の途中、「大祓詞」を三度奏上するのが日課であった。
 だいぶ慣れてきたころであろうか、拝礼の途中で妙な感覚に
襲われる事が度々あり不思議に思っていた。
 その感覚はまるで空間が捻じ曲がってひどい乗り物酔いがあるような感じもあれば
、紫の光で神棚が包まれたと思ったら自分の祝詞を唱えている声が
遠くに聞こえて、神棚から自分を眺めている感覚であったりした。
 そういった不思議な感覚であったが、それを危険とは感じなかったが、
少々不安もあった。新しい感覚に出会ったこともそうだが
あまりに非日常のためで判断のしようが無いからであった。
 しかし疑問を持たずただ「大祓詞」を唱えるのが村野先生からの宿題であったので
続けれるだけ続けてみようと決心した。
 その決心をして妙な感覚があっても自分の意識を祝詞のみに集中し
唱え続けた。
 幾日も、雨の日も晴れの日も風の日も幾日も・・・
 そうした中でふと聞こえてくる声があった。
 汝は大祓詞を守護しあらわしている神界の光を受け取ったと・・・
 その言葉を聴いたとき、すべてを私は理解した。
 妙な感覚に襲われる理由。
 それは自分の今までの穢れでありそれを大祓えを唱えることにより
強く大きな力が大祓詞を仲たがいにして浄化する力が私に降り注いだ。
 強く大きい光のために意識は肉体から幽世に少し足を踏み入れ
浄化の体験をしていたのだと・・・
 そのことを悟った後はあまり妙な体験は少なくなって「大祓詞」を唱え終わると
清浄な感覚に包まれることが多くなった。
「大祓詞」は原初の大祓えの詞から数えれば長い歴史を持ち
二千年以上その精神は受け継がれている。
家伝にも原初の大祓えを伝えているが、神代文字にて書かれていたが
何代か前の先祖が漢字および万葉かなに直しているものが伝わっている。
文面は多少違っていても(かなりかな(笑))、その発する神の光は同種と
感じます。
 長く受け継がれるものには深い意味が秘められているのでしょう。
 今でも原初の大祓えの詞を神前で毎日奏上させていただいている。

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