3月20日(日) 10:00~12:00

 我らの尊敬する大先輩「三宅英幸先生」の米寿を祝う祝賀会が、お二人の娘さんの企画のにより、美袋の「魚州さん」の宴会場で大勢のご親族に囲まれ賑々しく挙行されました。

 その記念すべき席に「金岡・真野・藤井(楽しみにしていた平井は療養中欠席)」の3名がお招きにあずかりました、生涯の名誉なことであります。

 先生は現在、総社市内の「薬師寺慈恵病院」でリハビリ中なのですが、声も記憶力も我々が負けるくらい達者でいらっしゃいます、まだまだご長命頂き多岐にわたるご経験によるご教示をお願い申し上げる次第です。

 以下に平成6年に発足された「五十鈴会」の発会誌「いすゞ」に寄せられた先生の「五十鈴会結成に当って」の投稿文をご紹介します。

 思い出せば、それは昭和20年の弥生3月、政局は第2次世界大戦は、本土決戦とならんとす折。
 草深き山里の七地、今は亡き山脇芳一先生宅の中座敷

    「わが国を いかにと問わば 天津日の
         豊栄昇りの 影をささなん」

導きの舞いの最初に教わった神歌です。
 時に17才、そして猿田彦、事代主と習い同年10月成羽社に入り、師匠は元より諸先輩方々の厳しく、情熱溢れるご指導を賜り1年が過ぎ3年が去り、舞う度毎に「なに人に負けてなるものか」と自分の心に鞭を打ち春風、秋風、半世紀の才月が流れました。
 今、過ぎ去りし昔を思えば、今日の私存るは師匠及び諸先輩方々のお蔭と心から感謝致して居る昨今です。
 是を期に生命の続く限り神楽の道に精進致す所存です。
 共々に心を合せ、備中神楽の発展に尽くそうではありませんか。
 又、前途有望な若き神楽師の皆様、自分は神楽師である事を肝に銘じ共に其の行動を慎み世間の指導を受けぬ様心掛け、一層のご奮闘をお祈り致します。             (全文)


発会誌「いすゞ」より

写真提供 : 鈴村 邦久さま