五行のお話

始めに
 
 2018年の「神光社の日記」から、歳時記を取り入れてみました、するとそこには「日本の歳時記」=「日本の暦」=「陰陽五行説」=「備中神樂での五行祭」に繋げざるを得ないことに陥ってしまいました、そこで私が備中神楽での「五行祭」に関する薄い知識を文書化し、多くの方々のお知恵を拝借したいとの思いで、このページを立ち上げることにしました、
 内容について諸説があると思います、都度ご教示下されば幸いです。


先ず東方「木句廼智の命(太郎の王子)」・南方「軻句突智の命(二郎の王子)」・西方「金山比古の命(三郎の王子)」・北方「水波女の命(四郎の王子)」の四柱が登場、それぞれ四季の持ち歌を詠じ四方に着座する。

 ”春は木の 色も優れし 青柳の 寅卯のときこそ 双調(そうじょう)とぞ知り!!”

 ”夏は日の 赤き色増す あじしまの 苦き己午の 時は黄鐘(おうじき)!!”

 ”秋は金 白くぞ見ゆる 申酉の 辛き言葉を 嘆く平調(ひょうじょう!!”
   
 ”冬は水 雪霜染めて 黒むらん 亥子のときこそ 盤渉(ばんしき)の声!!”

伊邪那岐万古大王が登場
 ”大王が茣蓙に参るぞ 茣蓙の主 茣蓙貸し給え 茣蓙守の神”(扇子と五行旗を持って命舞い)

 大王・・・「さてこの所に舞い出すは神代七代(テンジンシチダイと聞き覚えていましたがカミヨナナヨが正しいのでは?)の末伊邪那岐万古大王にて候、さてこのところに於いて我が子四柱の神を召し集め、四季四節月日の掌務配当をなさばやと存じ候、さてこれより東方にあたりては三生元木木の御祖木句廼智の命、まった南方にあたりては二義元火火の御祖軻句突智の命」まった西方にあたりては四殺元金金の御祖金山比古の命、まった北方にあたりては一徳元水水の御祖水波女の命、太郎、二郎、三郎、四郎、右四名の王子がおわするか、おわすなれば答え給えよ、

 四柱・・・「参候、只今の御声は父神伊邪那岐万古大王様の御声と麗らかに受け賜わり候が、取るものも取り合えず急ぎ参着仕り候が、何御用仰せつけ候かなかぞの神」

 大王・・・「おお汝ら四名の王子をこのところに呼び出すは、別の仔細にこれなく我が世を保つことは二万三千四百九十余年の長きに亘り、空には日月星霜・地には山川草木鳥獣虫魚に至るまで、天地間にありとあらゆるものをことごとく生み広め、我老いたる姿を真澄の鏡に映して見れば、頭には霜降る白髪を頂き、額は寄せ来る波の如く、目には薄氷を貼ったる如く、口は蓬莱山の如く、背には千度万度の祓い箱を背負うたるが如く、腰は梓の弓を引いたるが如く、足には木履の御沓を踏ませたるが如く、老骨の身と相成り世を治ることもおぼつかなきにより、秋の末冬の初め十月は神無月、草木の落ち葉と諸共に天津九天日の若宮に還元致さんと存ずるが、汝ら王子は未だ無掌務の王子にして、面を見てやれば春・夏・秋・冬、木性・火性・金性・水性の生気を受け生まれ来る王子に候えば、旗をも青く・赤く・白く・黒く染めなして、宮の宝として大妙練の剣・重藤の弓・鏑矢千丁を相添え、これより東・南・西・北にあたり八棟造りの御所の内裏を建て、山八万里・川八万里・郷八万里、海は櫓櫂の絶つ所まで、汝ら王子の領地と定めおくほどに、甲乙・丙丁・庚辛・壬癸、木性・火性・金性・水性の男女を一期永久に守護なし給え、栄の印と致して東方木句廼智の命には青き御旗を授け申すなり、まった南方軻句突智の命には赤き御旗を授け申すなり、まった西方金山比古の命には白き御旗を授け申すなり、まった北方水波女の命には黒き御旗を授け申すなり、早や早やこれにて永の暇を告げ給えやの王子」

 四柱・・・「父様の譲り分に候らえば重ねて頂戴は仕ろうかなれども、こわ夢か現か幻か、夢ならば起きて覚めて会わす顔もありやせん、現に迷うこの身の儚さよ、風古木吹きゆけば散りゆく天の雨や風、月閉塞照らす春・夏・秋・冬の夜は愛しゅうても愛しまれず、悲しゅうても哀しまれず、未だ幼き王子に候らえばこの度のご天上は暫し留まりありて我が身の養育を省くみ給えかぞの神」

 大王・・・「おお汝ら王子が嘆き悲しむことは大王の五臓に感銘し、まして末代まで忘れかね候らえども、この度の天上は思いに思い立ったる天上なれば、玉川の瀬下る舟は止まるとも我が天上は止めても止まるまいにより、早や早や暇を告げ給えやの王子」

 四柱・・・「是非ぜひのご天上に候らえば、賜りし御旗につき一首づつ神歌を詠じばやと存じ候」

 大王・・・「おお汝らの知恵と計らい給えやの」

 太郎の王子・・・「”賜りて嬉しくもない青い旗、甲・乙に立てて拝する”」
               大王返歌・・・「”賜りて嬉しと思えよその御旗、甲・乙は春が領地ぞ”」

 二郎の王子・・・「”父様と別れの文を書くときは、硯の水は涙なりけり”」
               大王返歌・・・「”波に筆磯に硯が有るならば、岩の狭間に恋しくと書く”」

 三郎の王子・・・「”父の恩母の情けの唐衣、返すがえすもありがたきかな”」
               大王返歌・・・「”父の恩山より高く母の慈悲、千尋の海にもいや勝るなり”」

 四郎の王子・・・「”今日までは親子契りで暮らしたが、明日は分かれて独りかも寝ん”」
               大王返歌・・・「”親と子は遅れ先立つ世の習い、神代ながらの定めなりけり”」

 四柱・・・「いかほど申し尽くすと言えども、親と子の名残りに候らえば三日三夜七日七夜語りても、尽きせぬ名残りに候らえばこれより東南西北の大門まで御供仕ろうかなれど、門外よりは父様ご一人にてゆるゆるご天上なし給えやの」

 大王・・・「おお汝ら四名の王子には月日の分配をなし与え、最早大王の思うことは玉川の瀬下る波も島巡りせん、さてここに黄しき御旗一本残り候、これは母が妃の宮の胎内に七月半の嬰児あり、母后が申すにはこの子男子ならば左肋三枚目、女子に候らえば右肋三枚目に苦しみを受けるとか申するなり、この度は一夜替わりの苦しみに候らえば男子であるか女子であるかの確言出来難し、この子男子なれば弟五郎埴安彦の命、女子なれば埴山姫の命と命名し、出産成長のあかつき兄四柱の神の竈をかき巡り来たみぎりは兄弟として育み、四季は四節と言えども各々18日づつの土用ありこの土の一徳を掌務なさしめ、中央に宮造りさせ、方位は丑・辰・未・戌の方位を守らせ、兄弟仲睦まじく四季循環濁り滞りなく五行相生をなし,今回産土荒神社式年の御祭りに仕え奉る、大の当番を始め十二支五性の大御宝の繁栄を護ってくれんがことを父が遺言として四柱の神に頼みおくにて候」

 四柱・・・「畏まって候」

 大王・・・「それではぼつぼつ天上なさばやと存じ候」

 四柱・・・「ゆるゆるとご天上なし給えやの」

 大王・・・「”四柱よ、恋しくば尋ねても来い、大空の”」
               四柱・・・「”高天原で、巡り合うなり”」
 大王・・・「”花は根に、鳥は古巣へ、帰れども”」
               四柱・・・「”老いは若きに、帰らざりけり”」


埴安彦の命が右手に扇子、左に黄色御旗を持って命舞いで舞い出す
            ”埴安が黄しき御旗を携えて、下界が島に天下るなり”

 埴安彦・・・「舞い出すは神代七代の末、伊邪那岐万古大王の末子弟五郎埴安彦の命にて候
             ”とろとろと踏んで出るは我が身なり、五行相生埴安の神”

 埴安彦・・・ 「さて此方(こんなた)より東(ひんがし)の方を眺むれば延々としてししんもうの早蕨あり、彼方此方の泉水に魚遊び放ち、花は数々生けあると言えど、”春来れば柳も目立つタズも張る、まんだ幼げな槇の若立ち”と詠じ給いしは、此処こそは東方左京太夫句木廼智の命のご在殿と見受け申してあり、門外より案内仔細をこわばやと存じ候」              
             ”兄頼む、案内頼むぞ、宮の内、仔細尋ぬる、左京館へ”

 太郎・・・「門外より案内仔細と声かけしは、敵か味方かさも知れず、この郷は用心堅固の郷に候らえば、入って後悔を召さりょうよりも、早や早や立ち去り給え」

 埴安彦・・・「これはしたり、敵にあらず味方一服一生親肉の兄弟、埴安の命に候らえば門戸を緩めて頂き、どうか宮内へお通し下さいませ」

 太郎・・・「これはこれは、我々の血肉を分けた弟五郎埴安の命様に候らえば、どうぞ宮内へお通り下さいませ」

 埴安彦・・・「早速通れよとのありがたいお言葉でございますが、私この度始めて兄さんの館を訪ねて来ましたもので、何れから何れに通って宜しいやら、何卒案内の程を願わしゅう存じます」

 太郎・・・「私どもはご覧の通り、四人で共同生活をしていまして、特別な案内人は雇うていません、どうかご自由にお通り下さい」

 埴安彦・・・「自由に通れよということでございますので通らせて頂きます、私参りまして宮内を見渡しますというと、既に四人の兄様方が四角占められているようでございます、私はこの中央が空いているようでございますので、中央まで通らせて頂きます」

 埴安彦・・・「そこで誠に勝手なお願いを申し上げますが、此処に床几が一脚空いているようでございます、遠路足痛しておりますれば、暫くの間で結構でございますれば、この床几を拝借願えませんか」

 太郎・・・「この床几につきましては、私ども四人の共有物でありまして、これを時間帯で管理しています、只今三郎の命が管理していますので、あなた様から直接三郎の命に交渉してみて下さい」

 埴安彦・・・「三郎の兄様、この床几の管理時間とのことでございます、暫くの間で結構でございます、どうか拝借をお願いいたします」

 三郎・・・「私の管理時間はもう少しで、次に四郎に廻さにゃあいけません、私の持ち時間の範囲でお使い下さい」

 埴安彦・・・「ありがとうございます、私参るなりご無理をお願いし、未だ四人の兄様方にご挨拶をしておりません、私は神代七代の末伊邪那岐万古大王の末子、弟五郎埴安彦の命でございます、旗印によりますと東方にあたりましては青き御旗を立てておられますところの三生元木木の御祖木句廼智の命様、即ち太郎の兄様とお見受け致します、また南方にあたるましては赤き御旗を立てておられますところの二義元火火の御祖軻句突智の命様、即ち二郎の兄様とお見受け致します、また西方にあたりましては白き御旗を立てておられますところの四殺元金金の御祖金山比古の命様、即ち三郎の兄様とお見受け致します、また北方にあたりましては黒き御旗を立てておられますところの一徳元水水の御祖水波女の命様、即ち四郎の兄様とお見受け致します、四人の兄様に於かれましては、四季四節時候の障りもなく、ご健勝の体を拝しまして、恐悦至極に存じ上げる次第でございます、お慶びを申し上げます」
 私がこの度兄様方の館をお訪ね致しましたのは他用件ではございません、兄様方もご承知の通りお父様がご天上の際は四人の兄様方をお膝元にお呼びになりまして、春夏秋冬四季四節の分配をなされ、其々御旗を頂かれそれについて一首づつ別れの神歌を詠じられ、お名残りを惜しまれたそうにお聞きしています、その時私は母が妃の宮の胎内に七月半の嬰児として宿っておりまして、お父様ご天上の際に列席できなかった無掌務の王子でございます、お父様の遺言によりますと「今妃の宮の胎内に七月半の嬰児が居る、妃のことばではこの子男子か女子か確言でき難いが、男子ならば埴安彦の命、女子ならば埴山比女の命と命名し、出産成長のあかつき兄四柱の神の竈を駆け巡り来たみぎりは、兄弟仲睦まじく四季の循環濁り滞りなく、大の当番を始めて十二支五性の大御宝を相護れよ」このような遺言だったと聞き及んでおります
 只今天御中主の命様のご神言により、この地で大典御神楽が執行されている、お前も直ぐ行って五行相生をして貰えということで、取る物も取り敢えず馳せ参じた次第でございます、親亡き後は兄親と申しまして太郎の兄様は実に哀れみの深い兄様とお聞きしています、どうかこのことを四人の兄様方でよくご相談して頂き、私の身分証の立ち行きますよう、宜しくお願い申し上げる次第でございます」

 太郎・・・「こりゃあどうも、よう判りました。早速弟として認めるのが本意ではありますが、私の一存という訳にはいきません、丁度ここに他の三柱が列席していますので、相談してご回答させて頂きたいと思います、先ずその間五郎さんと呼ぶ訳には参りませんので「旅王子さん」と呼ばせて頂きます、併せてご了解をお願いいたします」

 (四柱でこのことを相談の結果、旅王子が本物か偽物か音声調べの調査することを決め、旅王子に伝え了解を得る)

 埴安彦・・・「本物か偽物かの調査をしてやろうというありがたいお言葉でございます、しかしながら私は生れ落ちるやお母さんを亡くし、これといった勉強を致しておりませんので、お話がどうできるか全く自信がありません、しかしながらこの度は当地の荒神社式年祭にあたり、是が非でも五行相生を致して産子繁栄をもたらす大きな役目持って参ったものでございますので自信はございませんが、産土荒神社のこと或いは五行について信じている一端を述べさせて頂きたいと存じます。
 我が国は神国神孫と言われています、即ち神の国でありそこに住む人々は神の子であります、古より色々な物を神として祀り崇め奉って来ました、それは太陽であり月であり多くの惑星もそうであります、また山も川も海も石も、神話の神々は勿論、歴代の天皇や時の天下人、靖国神社や護国神社が象徴しているように過去我が国のために尊い命を犠牲にした多くの英霊達も神として奉り敬って参りました。
 さてその中で荒神社について話をさせて頂きますと、西暦538年頃中国から仏教が伝来し、それまでの神道から一気に仏教に変化した時代があります、その時にこれまでの先祖の位牌などをむやみに燃やすなどの処分が恐れ多く出来かねたのであります、そういった位牌などを集落単位で持ち寄り、祠を建ててお祀りしたのが産土荒神社なのであります。
 この度のような産土荒神社の式年祭は、集落の先祖の法事であろうを思います、臍の緒荒神と申しまして、式年祭の年季が参りましたら、その地で生まれた親族に「何時いつ荒神社の祭りをするんで帰って来てくれえ」と案内して、大勢が寄り合って神楽を見ながら先祖の供養をされるのでございます」

 「次に五行について話を進めてまいります、五行とはこの世の中の多くの物が「木・火・土・金・水(もっかどこんすい)」の五つの元素から成り立っているということなのです。
 まず七曜星といいまして一週間は七日、日曜は太陽・月曜は月、そして「木・火・土・金・水」即ち、もくは太郎の兄様の木、かは二郎の兄様の火、どは私の土、こんは三郎の兄様の金、すいは四郎の兄様の水、このように太陽と月と我々五柱が仲良く協力し合って一週間を滞りなく循環しているのでございます。
 また方位にいたしましても「東・南・西・北・中央」の五つの方位があります、太郎の兄様は東、二郎の兄様は南・三郎の兄様は西、四郎の兄様は北、私は中央の方位を受け持っているのでございます。
 色合いに致しましても、「五原色」即ち「青・黄・赤・白・黒(せいおうしゃくびゃっこく)」、 太郎の兄様は青、私は黄、二郎の兄様は赤、三郎の兄様は白、四郎の兄様は黒を受け持っています、大相撲で申しますと東方には青房、南方には赤房、西方には白房、北方には黒房、中央は土俵の黄として五行を表しているのでございます。
 また我が国は「四季のある美しく豊かな国」と言われています、太郎の兄様は春、春は木が芽立ち野山が青くなる、二郎の兄様は夏、夏は燃えるように熱く火は赤々と燃える、三郎の兄様は秋、秋は穫り入れの季節であり金属の道具を使って収穫する、その金属は白に見える、四郎の兄様は冬、冬は雪が降り氷が張り水分を春まで蓄える時期、水は大量になると黒く見える、私は兄様方の春と夏の間、夏と秋の間、秋と冬の間、冬と春の間、即ち4月・7月・10月・1月の土用を受け持ちし大地を象徴する故色彩は黄なのです。

 次に干支(えと)であります、通常「えと」とは「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」いわゆる十二支を指すと思っておられる方が多いのですが、(えと)とは干支と書き「十二支十干(じゅうにしじっかん)」のことを言います、それは先に申しました「甲・乙(きのえ・きのと)」「丙・丁(ひのえ・ひのと)」「庚・辛(かのえ・かのと)」「壬・癸(みずのえ・みずのと)」「戊・己(つちのえ・つちのと)」の「十干」の10と、「十二支」の12の、最小公倍数、「60」種類があるのです、
 その十二支に致しましては、太郎の兄様は寅と卯、二郎の兄様は巳と午、三郎の兄様は申と酉、四郎の兄様は亥と子、私は残った丑と辰と未と戌を、また十干におきましては太郎の兄様は甲乙、二郎の兄様は丙丁、三郎の兄様は庚辛、四郎の兄様は壬癸、私は戊己を其々分担守護しているのでございます。

 次に「五行相生(ごぎょうそうじょう))」と「五行相克(ごぎょうそうこく)」についてお話させて頂きますと、五行相生とは「木生火(もくしょうか)」と申しまして木から火が生じ、「火生土(かしょうど)」即ち火から土が生ずる、「土生金(どしょうきん)」土からは金属が生ずる、「金生水(きんしょうすい)」金属には空気中の水分が付着して水が生じる、「水生木(すいしょうもく)」水は木を生み育てる、このように「木火土金水」は其々生み育てあい進化成長するという意味なのです、これに対し五行相克とは「木剋土(もっこくど)」と言いまして木は土の養分を吸って衰退させる、「土剋水(どこくすい)」土は水を吸い込んでしまう、「水剋火(すいこくか)」水は火を消し去ってしまう、「火剋金(かこくきん)」火は金属を溶かしてしまう、「金剋木(きんこくもく)」金属は木を切り倒す、と言ったように木・火・土・金・水はお互いに助け合いお互いに牽制し合って均衡を保ち自然が形成されています。

 次に「人と五行」について申し述べますと、人は「五味の味わい」を感じることが出来ます、太郎の兄様は酸いき味、二郎の兄様は苦き味、三郎の兄様は辛き味、四郎の兄様は塩鹹き味、私は甘き味を受け持っており、いろいろの御馳走が美味しくいただけるのは、この五味の味を上手く調和してからこそなのではと思います。
 更に「五音」即ち「あ・い・う・え・お」を発することが出来るのでございます、これは「唇・舌・牙・歯・喉(しんぜつがしこう)」、太郎の兄様は唇、二郎の兄様は舌、三郎の兄様は牙、四郎の兄様は歯、私は喉と、この五つの部分が正常に働いてこそ正確に「あいうえお」が発せられるのでございます、
 また「五感」と言って、太郎の兄様は「視覚」、二郎の兄様は「味覚」、三郎の兄様は「嗅覚」、四郎の兄様は「聴覚」、私の「触覚」この五つの感覚がございます。
 人の部位的には、太郎の兄様は「眼・筋・爪(がんきんそう)」、二郎の兄様は「舌・血・毛(ぜつけつもう)」、三郎の兄様は「鼻・皮・息(びひそく)」、四郎の兄様は「耳・骨・歯(じこつし)」私は「全身・肉・乳(ぜんしんにくにゅう)」を分担守護しています、
 冒頭申し上げましたように、我が国は「神国神孫」神の子であります、神様が住む所を「宮」と称しています、女性の方には「子宮」という臓器がございます、その「宮」で育ち生まれ来る、即ち人は「神の子」なのであります。
 人は生れ落ちるや誰に教わった訳でもなく、1分間に18回の息をし、その倍の36度の体温を維持し、その倍の72回の脈を打って、お母さんの甘い乳を吸ってすくすく成長していくのでございます、このように神様或いは五行について申し上げると数限りの無いものでございます、私が平素信じています一端を述べさせて頂き声調べに代えさせて頂きます、ご清聴ありがとうございました。」

 太郎・・・「こりゃあどうも延々のお話をありがとうございました、話が良かったので早速「五郎さん」と呼ぶ訳には参りませんで、ちょっと兄弟で相談したいと思いますので暫くお待ちください 二郎・三郎・四郎さん、今の旅王子さんの話はどうでしたかな?

 二郎・・・「ちょっと腑に落ちんことがあるので、そこんところを聞いても宜しいかなあ」

 (四柱が旅王子の話について問答となり、口論〜喧嘩となりますが、色々な問答形式があるので割愛します)

 (そこで「修者堅牢神」が仲裁に入る)

 修者・・・「天御中主の命」の門入りじゃ!!鎮まれ!!」

 (四柱は土下座の状態で平身低頭)(旅王子は幕内に入る)

 修者・・・「太郎の命、おめえは兄弟じゃあ一番の親方じゃろうが!!太鼓をドンドン叩てえて、兄弟は皆イキリたっとたがな!おめえが一番悪りい、絞首刑じゃ!!言うてもちょっと減刑して神楽が済んだら会場を皆けっこうに片づきょうせえ! 二郎の命、おめえも良うねえど!おめえは重労働じゃ!!産子の皆さんの稲よう刈ってトースまでしとけ! 三郎の命、おめえはのう産子さんの軽四トラックやトラックターへガソリンを満タンにしてあげえよ! 四郎の命は一番のオトンボじゃろうが、兄さん等が喧嘩をすりゃあ影へ隠れてビイビイ泣きょうても良えのに暴力を振るったりして!!おめえは兄さんの稲刈りや給油をてごをしてあげえよ!分かったか」

 修者・・・「四人の命、何時までも頭を垂れて居ったら先生のご尊顔の体を拝せられん、頭を上げて先生のご尊顔を拝して良かろうぞ」

 四柱・・・「勿体のうて上がらん、号令を掛けて貰えんかなあ、一・二・三で、三を大きい声で頼まあな」

 修者・・・「ほんなら掛けるど、 いち・に・さん」
                       四柱・・・「やん」

 四柱・・・「天御中主の命じゃ言うて大きなことを言うとったが、何なら「サンヤン」じゃがな

 修者・・・「まあサンヤンがシーヤンでも良えわあ、太郎の命何の事で大喧嘩になったんなら、訳を言うてみい」

 太郎・・・「和気かな?ありゃあ備前の方じゃろう、今頃は閑谷学校へ行きゃあ紅葉で結構なで、あっこまで汽車賃が何ぼう掛かるじゃろうかのお」

 修者・・・「おい太郎の命、おいめえは何ゆう言ようるんなら、備前市の和気じゃあ無うて、喧嘩の成り立ち理由を聞きょうるんじゃ!」

 太郎・・・「ああ喧嘩の理由かな?そりゃあなあ、或るところにお父さんとお母さんがおって子が出来たんじゃ、その子はなあ、神楽が好きでお婆さんが腰巻が無うなった思ようりゃあ神楽幕に使ようたり、ちゃんちゃんこを引っ張り出して金や銀の紙みゆう切って糊で貼り付けて陣羽織にしたり、ハタキを切って紙みゆうはせて御幣やスモットにしたり、学校へ行かずにヨウハー言うて神楽ばあしょうる・・・・・」

 三郎・・・「そりゃあ兄さん誰の事なあ?」
 太郎・・・「サンヤンの事じゃ」

 修者・・・「おおあんごう、何か世の中にゃあワシによう似たもんが居るんじゃのうと思ようりゃあ、誰がワシの事を言え言うたんなら、太郎おめえはもう嫌れえじゃ!」
 「二郎さん、あんたあ好きじゃ何時もお世話になってすまんなあや、せえで何で喧嘩になったんなあ」

 二郎・・・「そりゃあなあ色事が元なんじゃ」
 修者・・・「どしたんなら、又色事でしくじったんか?こねえだも一升買うて行って断わりゅうしてやったばあじゃがな」
 二郎・・・「いんや、この度は、あがあな色事じゃあ無んじゃ、あのなあ旅王子たる者が弟にしてくれえ言うて訪ねて来てなあ、この旗の色が言えなんだんじゃ、あんたも修者堅牢神じゃ言うて大きな事をお言んさったが、この旗の色が言えるかな?太郎の兄さんの旗の色からから順々に言うてみ、いくで東方青」
 修者・・・「北方黒」
 二郎・・・「そっちへ廻ちゃあおえんが、こっちい廻にゃあ」
 修者・・・「いたしいのう、わしゃあコンニョウじゃけえ」
 二郎・・・「ほんなら言うで、東方青」
 修者・・・「西方白」
 二郎・・・「飛ばしちゃあおえんが、この旗の色を言うてくれにゃあ、東方青」
 修者・・・「南方赤」  二郎・・・「ベーじゃ」
 修者・・・「おめえはアカベーを言わしょう思うて辛抱しょうたんか、もうおめえもおえん、三郎さんどうゆう訳での喧嘩なら」

 三郎・・・「証拠不十分、あんたも修者堅牢神の証拠があるんかな、なかったら唯のサンヤンじゃ」

    (四柱とのやり取りは部分省略)

    (修者が天御中主の命から預かった風呂敷包みから証拠品として出しながら四柱と問答する」
 第一号、平素の冠りを遣わす、
 第二号、平素のお羽織を遣わす、ははー勿体ねえ勿体ねえ
 第三号、平素の差し前を遣わす、これは修者殿差して行け
 第四号、天の御鈴を遣わす、
 第五号、天のはり縄を遣わす、わんぱく者が居ったらこれで括って引き連れて来い、

 修者・・・「「どうなら、これでも未だサンヤンじゃ言うか」

 四柱・・・「いや修者堅牢神様でございます」

 修者・・・「太郎二郎三郎四郎、只今推参した王子は五郎の王子に間違いないぞ、ほんならこれから月日の分配をしてやるから、太郎の命は本家役で囃子してくれ給え」

 太郎・・・「さてまた東方太郎の命は、春の三月の90日より18土用を取りて除いて、末に残りし72日は太郎の命が掌務なし給え、合点なら承諾し給え
 かえり南方二郎の命は、夏の三月の90日より18土用を取りて除いて、末に残りし72日は二郎の命が掌務なし給え、合点なら承諾したまえ、
 かえり西方三郎の命は、秋の三月の90日より18土用を取りて除いて、末に残りし72日は三郎の命が掌務なし給え、合点なら承諾したまえ、
 かえり北方四郎の命は、冬の三月の90日より18土用を取りて除いて、末に残りし72日は四郎の命が掌務なし給え、合点なら承諾したまえ、
 かえり中央五郎の命は、春夏秋冬四土用合せて、集え集いし72日は中央五郎の命が掌務なし給え、合点なら承諾したまえ」
    上出来上出来!!
 せえからここに節句が五つ有あや、先ず太郎さんは良えで1月7日七草じゃ、芹・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ入れて七草粥しておあがんなせよう、
 二郎さんは3月3日桃の節句じゃ、ヨモギを摘んで菱餅を作ってお上がりなせえよ、
 三郎さんは5月5日端午の節句じゃ、チマキを作ってお上がんなせえよ、
 四郎さんは7月7日七夕じゃ、うどんでも湯がいてお上がりいよう、
 五郎さんは9月9日九曜の晴れ餅じゃ、初めての節句じゃけえ兄さんの所へお鏡餅を搗いて持って行くんで、

 それでは五行相生の旗合わせをなさばやと存じ候、

 ”東青、南が赤で、西白し   北黒ければ、中が黄色”

 ”青黄や、赤白黒が、和合して、  産子が豊かに、なるぞめでたや”


”えー、東南西北中央へはまた、青黄赤白黒の銭旗を差し上げ申して、甲乙に、丙丁に、庚辛に、壬癸に、戊己にゃ舞うている、重ねてしょおしゃく、垂れ給えとや、大王様から妃の宮まで、よく遊べ遊べば産子に、徳を得させる、大の当番初めて十二支五性の大御宝に、掛かりくる諸難を払うには、一徳・二危・三妖・四殺・五鬼・六害・七曜・八難・九曜の星の厄まで、何も無しとや奉りて晴らすに会う人は千歳の命を、待つぞ久しきや、大御宝が門に出て悪魔を払うは弓と矢よ災難払うは、太刀と刀よや、悪事と災難を払い除け所堅めにゃ、神ぞ坐し坐す、我が国は神の末なり神奉る、昔の手振りを、忘るなよ夢、ありがたや天地五行を形取りて拝する我が身は、五行こそ知れ、この御旗他へは洩らすな、大の当番初めて十二支五性の大御宝の大のろっくう神へと舞いや治めん サンヤサンヤ”



以上終わります、皆さん御機嫌よう。