よくお参りくださいました。

  ご本尊様は

     聖観音さま  です

   「南無観世音菩薩」とお唱えください
本尊・聖観音


   縁 起

その昔芳井町天神山には、行基菩薩作の観世音菩薩を祀る庵があった。

そこに1441(嘉吉元)年 千畝周竹禅師を開山、足利義将を開基とし、公方祈願所として創建。

天正年間に焼失した際、豊臣秀吉が方丈を寄進したと言われるが、昭和30年土蔵と鐘楼を残し再度全焼。

昭和49年、鐘楼門と石門等を天神山の麓、現在の篠原の地に移築・再建。
明治初期の境内図


  ゆかりの人々

千畝周竹禅師(せんみょうしゅうちくぜんじ)
    (1379〜1458)

 摂政家筆頭の近衛家出身と言われ、臨済宗大本山佛通寺の開山・愚中和尚の高弟の一人。京都の宗雲寺や重玄寺を開いた後、京都の天寧寺や佛通寺の住職も務める。
 近年、千畝禅師の香語をあつめた「也足外集」などから、画聖・雪舟との繋がりも明らかになった。
 広島県三原市の佛通寺で亡くなったが、墓地は重玄寺にある。
千畝和尚の墓
足利義将(不明)
 足利尊氏の曾孫と考えられている。
 足利義満が開いたといわれる井原市の善福寺に義尊、義将兄弟が住んでいたとみられ、重玄寺には善福寺殿より寺領を譲り受けた旨の古文書がある。
重玄寺知行目録
雪舟等楊(せっしゅうとうよう)
   (1420〜1506)

 水墨画を完成させた室町時代の画僧。
 国宝「天橋立図」「四季山水図」「山水長巻」などが知られている。
 詳しくは「画聖・雪舟」コーナーへ
藤井皓玄能登守(ふじいこうげんのとのかみ
   (?〜1569?)


 戦国時代の武将で重玄寺で得度したと言われている。岡山県西部から広島県神辺あたりに勢力を持っていた。井原市役所芳井支所の近くにある「正霊山城祉」は、皓玄の築城であったと言われている。
 重玄寺跡地の墓所には、藤井家一族の供養塔が祀られている。

   文 化 財
 重玄寺には、古文書(重玄寺文書)や仏画や掛け軸の古いもの、近衛家や天皇家ゆかりの品を数多く所有。
 それらは、井原市立芳井町歴史民俗資料館で、大切に保存され、折りにふれ公開されている。
 なかでも、雪舟かそれに近い弟子の筆によるものと思われる「開山千畝周竹頂相」は、宗教的にも文化財的にも注目を浴びている。現在修復作業を終え、岡山県立美術館に寄託。

近衛家ゆかりの品

近衛尚通の書 近衛家の紋の入った両掛(一部)
近衛尚通の書 両掛

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