臨済宗では、住職の妻の事を「寺庭婦人」と言います。
  住職とは違った観点で、でしゃばりな妻が日記に仕立てました。
  お寺の事、子どもの事、地域の事、様々な日々のつぶやきです。
  深く考えず、軽〜い日記ですので、目くじら立てずにお読み下さい。
2004年9月30日(木)
幼稚園運動会

台風一過の今日、幼稚園のミニ運動会があった。
息子は、朝から大張り切り。
先生と年長の園児で、内容を考えたり、演目を進行したり。息子の担当は「障害物リレー」
そして、一番見てほしかったのは「組み体操」
風があったものの、日差しは強く、汗ばむほどだったが、元気いっぱい。
「玉入れ」と「綱引き」は園児対保護者の対決もあった。
玉入れは、保護者の圧勝だったが、綱引きは負けてしまった。
子どもたちに花を持たせようと思って皆控えめに引いたが、子ども達の力強さには正直びっくりした。
腕力で負ける日も、遠くないかも・・・・と青ざめた。
 
隣の小学校では、草0ボランティアといって、草抜きをしていたが、低学年は幼稚園の運動会の方が気になるらしく、草抜きの手を休めて見物している子もチラホラ。

2004年9月23日(木)
老師さまの思い出

今日、本山で「青松軒老大師」の13回忌の法要が行われた。
うちの和尚が雲水(修行僧)時代の本山の管長さまでいらっしゃった老師さまとは、平成3年8月31日に1度だけお目にかかったことがある。
今日記念品でいただいて帰った遺稿集で確認、私は最晩年の老師さまを拝見していたことになる。
この日、和尚と本山の中庭を通り抜けようとした時、白衣に草取り用の「こて」のようなものを持たれていた老師さまに「ばったり」お会いしたのだ。
そして、和尚が「家内です。結婚しました。」とかなんとか言って紹介してもらったような気がする。
その時、結婚して既に2年近く経っていたのだが、老師さまはお祝いにといって、「達磨」と「観音」の画のある半折を下さったのだ。
老師さまを前に、緊張していたのか、その時の事ははっきりとしないのだが、何故か「白衣に草取り道具」だけは、鮮明に思い出すのだ。
当時はもう90歳をこえていらっしゃったはずだが、それでもまだ、暑い夏に草取りをされるお姿に感動したものだ。
和尚が修行を終えて帰る時「作務を怠るな」とのお言葉をいただいたそうだが、老師さま自ら実践されていたのだと、胸の熱くなる思いであった。
果たして私は・・・・と日々の生活を反省した「老師さまとの思い出」である。

追記・・・和尚は思い出したように老師さまから戴いた「作務衣」を久しぶりに着ていたようだ。

2004年9月21日(火)
はじめに

日記のページを作るにあたって、タイトルを何にしようか?と考えた。今年初めお昼のドラマ(毎日放送系)「ピュア・ラブ」で、「寺庭婦人」という言葉が一世風靡した。
寺庭婦人・・・今では何の抵抗もないが、結婚した当初は、なんだかお寺の付属品のような響きに感じられて、反感を持ったものだ。
結婚前、私は岡山市内の地場企業の本社社長室という所で働いていた。役員の秘書や業務企画、経営分析など、他からみれば華やかな部署であった。事実VIPとの会話や、新企画の仕事など楽しくって仕方なく、よく学び、よく働いた。
同期入社の仲間が集まると男性社員に「肘掛け椅子(主任)に1番近い」と冗談?を言われたりもした。
時代は「男女雇用機会均等法」なるものが施行され、『女性が作る企業広報誌の編集長』として、某経済新聞にも載せていただいたこともあった。今冷静に考えると、それはただ単に企業のイメージアップに利用されただけ。なのに、目指せ「キャリア」ってなもんで、必死に働いた。
そんなこんなで、今もだけれども(笑)「自分が・・・自分が・・・」のまま寺に嫁ぎ、「寺庭婦人」と言われる事となり、私って何?、今時「婦人」だって?と思ったのだ。
これが「寺庭婦人」に反感を持った理由。今では住職あっての私と思っているかどうかは、非常に疑問だけれど(笑)、お寺あっての私だし、お寺大好き!「寺庭婦人」いいじゃなーい、に変身。
・・・・・ところで、どうしてそんなに楽しかった仕事を辞めて結婚したかって?・・・・
そりゃあ、和尚が今と違って「カッコよかった」からでしょ!(爆笑)と日記にはかいておこう。