The Submarine Shrine〜 深海の崖の下〜
神 殿入口 諸 神の間 図書室 彼 方へ
                                                                    古墳の主
 
   事の起こりはその夜遅くかかってきた一本の電話だった。その電話は編集部
からのもので、過去に一時噂となった事件とその関係者の一人が先日亡くなった
件について取材してくるようにとのことだった。私は明朝の出発に備えて慌し
く準備を終えると、目覚ましを用意して床に入った。

 当時の私は不可解な事件を中心に扱う雑誌の契約ライターをしていた。東京
にある本社から取材に行くには時間も経費もかかるため、私のような地方在住
者でそれなりに知識のあるものが全国各地に複数その形で勤務していた。その
頃の読者ならば、塚原という名前を覚えているかも知れない。

 翌朝、目的地に向かう電車内で朝食を摂りながら、私は調べ物に追われてい
た。今回取材する事件というのは十数年前に起こったもので、市の古墳発掘調
査中の関係者及び近隣住民の状態から、一時は週刊誌でも取り上げられたもの
の、その直後に起こった全国的凶悪事件のために急速に忘れ去られたものだっ
た。

 当時の記事の写しを読んでみたが、ただ淡々と事件を述べるものかそうでな
ければ全く根拠のなさそうなもののどちらかで、参考になりそうなものは残念
ながら無かった。結局、一から自分で調べるしかないとの結論に達した。

 私の家から目的地までは普通電車とバスを乗り継いで二時間ばかりの距離に
あった。バスに乗り換えてから細い道を二十分ばかり揺られて山を越えた所に
小さな盆地が広がっていた。瞬時に町並み全てを見てとれる田舎の小さな町だ
った。

 バスを降りた私は、取材の前に問題の古墳を見てみたいと思い、暇そうに欠
伸をしていたタクシー運転手に声をかけた。
「すみませんが、昔発掘中に起こった問題で調査が中止された古墳がこの辺り
にあると思うのですが、運転手さんはご存知ありませんか?」
 私がそう言うと、運転手の眠そうな表情は瞬時に消え去り、実に陽気な顔に
なって口を開いた。

「勿論知ってますとも。あの頃はそりゃあ大勢記者さんが来られて、私ら誰か
しら乗せてましたけえな。あんたも記者さんですかな?」
 そのようなものだと私が答えると実に運転手は嬉しそうだった。私は彼に古
墳まで乗せてもらうことにした。
 車内でこの運転手の相手をものの五分もしたかどうかといううちに、車は山
道沿いにある竹薮の側で停止した。

「お客さん、そこに見えるのが例の古墳ですよ」
 運転手に言われて横を見ると、なるほど小さいが確かに古墳があった。ただ
ひとつ普通と異なるのは、古墳を取り巻く鉄条網と柵が異様に堅固なことだっ
た。執拗とも思えるその様子とざわざわと鳴る竹薮にふいに私の体温を奪い取
られたような嫌な感じを受け、私は車から降りることなくそのまま市役所へ向
かった。

 市役所で来訪目的を説明するとすぐに市の教育委員会の方が現れ、私を所内
の一室に案内してくれた。私は単刀直入に何故調査を中止しなければならなか
ったのか尋ねてみた。が、残念ながら相手はその後委員会に配属になった方で、
詳しくは知らないとの返事しか返ってはこなかった。それでも食い下がってみ
た結果、ため息を吐きながら彼は当時の教育委員会関係者の住所を教えてくれ
た。私は礼を言ってその場を後にすると、当時の関係者に電話をかけてみた。

 電話に出たのは初老の男性のようだった。私が先日の件の取材をしているこ
と、その関係で当時のことをお尋ねしたい旨を伝えると、しばし沈黙が流れた
後に了承したとの返事が返ってきた。

 一時間後、約束の時刻に私はその男性の家を訪問していた。以下は当時の取
材テープから一部を起こしたものだ。
塚原(以後私)「するとその教授の様子は普段と変わり無く見えたわけです
ね?」
訪問宅主人(以後A氏)「ええ、むしろより強く興味をもたれたようで、あんなこ
とになるとは全く思ってもみませんでした」
私「石棺の様子が中止する理由となったと噂になったようですが?」
A
「総合的に判断して中止はやむなしと決定しました」
私「総合的と言われますと?」
A
「調査に不可欠な人員がいなくなり、また、すぐ側で起こった事件のために
古墳に手をつけないほうがよいとの判断に達したためです」
私「噂とは無関係だというわけですね?」
A
「そうです」
私「先ほど問題の古墳を見てきましたが、妙に厳重に囲われているのが少々気
になりました。これは何故なのでしょうか?」
A
「とにかく、妙な噂が流れていましたので、興味を持たれると困ると思った
のが偽らざる気持ちです。時効が成立しましたので、もう皆忘れたがっていま
す。興味半分の記事だけはやめていただきたいと思い、お会いすることにしま
した。そのあたり、どうかよろしくお願いします」

 故意に一部だけ(少々言葉を改めて)書いてみたが、A氏の話で終始一貫して
いたのは、何者かはわからぬが悪意を持った者が調査を妨害するために残虐な
事件を起こし、未だに捕らえられることなく(おそらくは)生存するだろうと
いうことだった。ここでの話は短時間で切り上げたために、これ以上特に書く
ことはない。

 次に向かったのは事件を担当した地元警察署だった。つい先日時効となった
事件だけに、この件の担当だった人物は少なく、最も古くからの人物は既に定
年退職していた。私はこの人物に当時の様子を聴くことにして、その人物の自
宅を訪問した。

 そこで長時間にわたり話を聴くことができたが、その詳細はここで書くこと
ができない。ただ、彼が詳細に残していた日記には、問題の件が強い酸による
隠蔽工作であると思われるということ、犯人はその方面に詳しい者とみて捜査
は行われたが、果してそれが正しかったのだろうかということが几帳面な字で
綴られていたとだけ記しておこう。

 夜も遅かったために私はその日の宿へ帰った。おおまかなところがわかった
ので、翌日からいよいよ先日起こった(これが編集部に匿名でかかってきた電
話の件だが)関係者の件について取材することを決定した。

 翌日、私は彼の自宅周辺住人の何人かに昔の事件以後の彼の様子を尋ねてみ
た。皆口々に言ったことは、幼い頃から聡明で社交的だったが問題の発掘調査
以後は自宅に篭ることが多くなり人付き合いも殆ど無かったということだった。
ただし、時に顔を会わせるときには昔と変わらず愛想よく立ち話などしており、
特別変わったところは見られなかったという。

 だがある人物は、時に彼が近寄りがたい雰囲気を全身から発し、意味不明な
ことをぶつぶつ呟きながら古墳の側に立っているのを見たと話してくれた。さ
らに付け加えて、こっそり精神科医の元に定期的に通っていたとも教えてくれ
た。この辺りはまだまだ狭いものの見方をするものが多いために、人目を避け
ていたのだろうとも私に語った。
 この辺り、昔の事件から今になお微かに残る閉鎖的な匂いを私はなんとなく
感じ取っていた。

 私は彼が件の事件以後精神科の医師に定期的に診察を受けていたことを知り、
その医師に会って話を伺うことにした。医師との話はこの件の確信に触れるも
のと思うが、それについて書く前に、次の文章を(少々長いが)読んでもらい
たい。後述するがこれが彼が最後に書き記した文章であり、記憶にとどめて
欲しいものだからだ。このために今までの文章では故意に暈さねばならなかっ
たことが多いのを謝しておきたい。

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 私が生まれ育ったここは古墳の多い地だった。七世紀頃のものとされる小さ
な円墳があちこちにあり、私は物心つくころからその古い墓を見ては遥かな太
古への憧れを抱いていた。
 将来は考古学者になりたいとの漠然とした思いは成長とともに薄れていった
ものの、大学進学を考える頃に俄かに意識の表層へと浮かび上がってきた。
 が、父の失業や母の持病の悪化等、私を取り巻く諸事情はその夢を無残に打
ち砕いた。突如失われた希望は深い絶望の淵と化して私を呑み込み、ただ日々
を死なずに過ごすことだけに費やし続けた結果、気がつくと私は八年もの貴重
な歳月を失っていた。
 家計を支えるために、日々を単調なうえに非生産的な労働に換えてわずかば
かりの日銭を稼ぐ中、通勤途中にある古墳を横目で見ることが、余暇を考古学
関係書籍を読みふけることや古墳群を写真に収めるのにあてることが、辛うじ
て私をこの世界に繋ぎとめていた。

 ここでこの辺りに有る古墳について少しばかり説明しておきたい。古墳には
様々な形態が見られるのは周知の事実だろうが、この周辺で見られるものはせ
いぜい直径が十メートル以下の円墳だ。山際に多く、ややこんもりとしたあま
り木が生えていないものがあれば、そう思っても間違いはない。あまりに数が
多いために、せいぜいが地図上にその所在を記されている程度の調査(分布調
査)しかされておらず、多くが発掘調査などはされないまま放置されて長い年
月が経過していた。

 さて、そんな日々を過ごしていたある日、市の博物館に勤める友人から思い
がけないことを聞かされた。春の終わりから市の古墳発掘調査が再開されるこ
ととなったのだ。私は、胸中に喜びと同時に沸きあがった羨望に、その夜の睡
眠を奪い取られた。今回はひとつのみのために、かける時間が短くて済みそう
なことと、予算的な問題もあるようで、外部専門家と市関係者のみのごく少数
によるとの話を続けて聞かされたからだった。つまり、私のようなものが現場
に立ち会える可能性は全くなかったのだ。

 翌日、眠い目をこすりながら単調労働に明け暮れる間に、私は一縷の望みを
見出していた。突然の驚きで昨日は確認を忘れたのだが、少々気になって昼休
みに友人に訊ねたところ、調査にあたる者の中に何度か手紙をやりとりしたこ
とのある考古学者の名前があることがわかったからだった。
 私はさっそくその学者(とある大学で教鞭をとっていた)に、私が現地で素人
ながら調査をしており調査予定の古墳の状態に詳しいこと、ぜひ助手扱いで私
も調査の一員に加えて欲しいことを恥知らずにも書き送った。
 一週間後その教授から、関係者各位に話をして特別に参加できるようにした
旨の返事が私に届けられた。私は飛びあがって喜び、感謝の手紙をしたためな
がら、この十年ばかり感じたことのない充足感が全身を満たすのを思う存分味
わった。
 
 その日から一ヶ月が過ぎ、いよいよ調査が開始された。私はそれ以前から、
市の教育委員会の専門家とともに指示を受けた作業(準備)を既に行っていた。
実際に発掘にとりかかると、そういった発掘調査の経験が殆どない私は後ろに
控えて雑用をこなしつつ、ことの成り行きを見守った。
 
 慎重に土砂が取り払われると、円墳の規模に不似合いなほど堂々たる石室が
あらわになった。一部穴を開けたために、中が千数百年ぶりに人の目にさらさ
れた。 

 内部はじめじめとしており、石室内は他の古墳から予想されたように彩色が
施されているわけでもなく、ただ石棺だけが中心に置かれてあった。
 石棺の状態は非常に良く、被葬者及び副葬品が存在する可能性が高いと思わ
れた。翌日に、石室に人が通れるだけの穴を開け、石棺を開けることがその場
で決定された。 

 その夜私は夢をみた。多くの古墳の外周部にあたるものに、生きた人間が埋
葬されようとしており、そのまわりでは神官のような男達が何事か詠唱してい
た。また、多くの女達が花を手にして涙を流していた。
 私は目を覚まして枕もとの時計を見た。午前一時を過ぎたところだった。今
日いよいよ石棺内部の様子がわかると興奮したためにこんな夢を見たのだろう
かと思ったが、殉死者の夢はしっくりとこないのがどうにも腑に落ちず、なか
なか再び眠りに落ちることができなかった。 

 翌早朝、関係者皆の期待と不安の入り混じった重々しい雰囲気の中、作業は
開始された。ファイバースコープが蓋の隙間から挿し入れられると、外で作業
を見守る者の前に置かれたモニターに内部が鮮明に映し出された。

 石棺内部は期待に反して、予想されたものは何もなかった。ただ底部に数セ
ンチほど、白濁したどろどろした水のようなものが溜まっていた。その後、蓋
は取り去られたが、一部をサンプルとして採取後は残りはそのままにされた。
何故ならば、石棺内部、特に蓋の裏面に多数の文字或いは文様が見つかったた
めに、注意はほぼそちらに向いていたからだった。  

 石棺底部に溜まっていた液体は分析機関にただちに送られ、各種分析にかけ
られることとなった。その間も謎の文字或いは文様の記録が続けられた。こち
らは専門の大学教授が大学に帰って解読にあたることとなった。
 文字解読にあたっていた教授から次のような内容の電話がかかってきたのは、
二日ばかり過ぎた頃だった。 

「どうにもはかどらないので一服していた時、たまたま英国人の同僚がそれを
見てしまったのだが、彼が私に声をひそめて言うには、発禁処分を受けた古書
に登場する太古の文字に極めてよく似ているそうだ。私は彼の国流の冗談だと
思ったのだが、意外にも彼の顔に笑みは全く無かったね。ま、何れにせよこれ
はちょっとした発見には違いないだろう。それでは、これからまた作業にとり
かかるのでこれで失礼しますよ」

 電話のあった翌日、教授は突如失踪した。家族にも原因は思い当たらず、そ
の後も杳として行方はしれない。教授の担当していた例の文字の写しはどこか
らも発見されなかった。
 
 教授の失踪からさらに二日後にサンプルの分析結果がでたが、これを公表す
るか否かで会議はもめた。あれは液体ではなく無数の細胞の集合体、つまりあ
る種の生物であるとのことだった。短い会議の後、当面発表を控えることで意
見の一致をみた。考古学とは分野が異なることと、さらに研究結果を待ったほ
うがよいとの判断からだった。勿論いまだ行方が掴めないでいる教授のことも
あった。皆口にこそしないものの、雲行きの怪しさに消極的になっているのが
表情からうかがえた。

 ここに私が覚えている限りだが、サンプルの報告書の一部を書いてみる。元
のものは今は存在していない。

「例の液体はなんらかの生物(組織)だとは分析できたが、今まで知られたもの
とは異なる点もあるため、今後さらに詳細な研究が必要と思われる。簡単にこ
の組織について解説すると、以下のような特徴を持っている。
1.核を持たない。
2.基幹となる細胞から分裂した細胞が短時間で別の機能を持つ細胞に変化す
る。
3.また、その細胞が突然死滅するとそこに別機能を持つ細胞が速やかに形成
される。その際、その死滅した細胞が再利用されている。
4.ある程度の細胞が集まった組織では、細胞膜が消失してひとつの巨大な細
胞(と呼べるならばだが)が形成される。
5.基幹となる細胞を取り除くとその周囲の細胞の変化は緩慢なものとなる。
変化をしなくなるわけではない。
6.低温、高温、圧力等に対して非常に高い耐性を有する。
 今後は遺伝子について調べた結果を随時連絡する。暫く時間が欲しい」

 その翌日、あの事件が発生したのだった。
 
 古墳の側に老夫婦が暮していた。いつもなら午後八時には消える明かりがず
っとついていたのを気にした近所の人が、家人に様子を見てくると言って出か
けた。直後、早朝の静寂を破る絶叫が周囲に響きわたり、意味不明なことを喚
きながら家に駆け戻ってきたという。連絡を受けてその家に駆けつけた私は、
錯乱したその様子を見てすぐに警察に通報した。数分後に警察車両一台がやっ
てきたので、私がまだ錯乱状態にある者に代わって事情を説明し、彼らととも
に老夫婦宅へ向かった。そして到着後、私も彼らも庭先を一目見るなり顔色を
失った。

 そこに老人の死体がころがっていた。体の左半分が半ば巨大な力でもぎ取ら
れ、半ば溶かされているようで、いったい如何なる手段でもってこのような惨
殺が可能であるのか想像さえできず、得体の知れない気味悪さに息苦しささえ
感じていたのは私一人ではないように思えた。残る一人は行方がわからなかっ
たが、しばらくして、少し離れた山中で同様の姿で発見された。地元警察は捜
査に全力を尽くしていたが、前例のない異様な事件故に早くも暗礁に乗り上げ
ているのは誰の目にも明らかだった。

 私は自分でも何故かわからぬ思いに駆られて石室入口まで来た。そこで私の
足はとまった。石棺内部から石室入り口まで、床が何物かの残した粘液で濡れ
ていたからだ。石棺底部に溜まっていたあの液体、いや生物はすっかり姿を消
していた。

 私が古墳にいる時に、組織の担当をしていた教授が行方不明になったと連絡
が入った。それによると、教授は研究室に何故か衣服を残していなくなったと
のこと。奇妙にも衣服はまるで人が倒れたような形で床にあったという。そし
て床から窓にかけて、幅数十センチのなめくじが這ったような痕が残っていた
そうだ。

 古墳調査は中止され、石棺と石室は元通りに埋めなおされた。古墳周囲には
鉄条網が張り巡らされて、今や誰も近づくことはできないようにされた。調査
に関わった者は口を噤み、全ての書類は焼却処分された。

 数年間、時折山中で一部溶解されたような動物の遺骸が見つかることはあっ
ても人間に被害が及ぶことはなかった。以後はぷっつりとその手の事件は我々
の目の前から消え去った。ただ、南に隣接する海沿いの町の一部の漁師の間で
は、海面近くを南に向かって泳ぎさる鯨ほどもある半透明の不気味な生き物を
見たという話がまことしやかに語られているらしかった。

 私はこれを書き終えたらすぐに自らの命を絶つつもりだ。それが未だに迷信
深いわが町の人々を、二度と古墳調査に向かわせることのない方法だと信ずる
からにほかならない。あれは何人も触れてはならぬ類のものなのだ。

 最後に、私が発掘調査時に見た夢に少し説明を加えなければならない。あれ
は、その地域の支配者の共をするための殉死者ではなかったのだ。墳墓は人間
のためのものではなく、長き生命を保つ生きたゼリーを封じる檻であり、殉死
するとみえた者達はこの檻が開かれるのを防ぐために未来永劫監視を続ける者
達だったのだ。何故このようなことがわかるかと言えば、私のかつての肉体が
外周部のとある古墳にあると言えば理解してもらえるだろうか。あの夢が遠い
記憶の欠片だったと気がついたのは、その後何十回となくみた夢のためだ。自
らの発した警告に当時の私は全く気がつくことはなかった。

 遥かな時を経た後、檻の開かれるのを阻止するはずの私が自らの手で解いて
しまった封印を、今一度確かなものとしなければならない。それになんの躊躇
いもない。千数百年前のあの日の私もすすんで行ったことなのだから。
 いつかまた檻の開かれようとする時、その時代にここに生まれている我々の
うちの誰かが阻止することを願いながら、再び長い眠りに私はつく。
                        柏木匡一郎
-------------------------------------------------------------

 これがつまり自殺した柏木氏の遺書ということになる。これを私が読むこと
ができたのは医師が彼の御遺族に承諾を得てくれたおかげだった。
 これを読んで私が思ったことは、彼が自殺をするほど精神に問題を抱えてい
たようには見えないということだった。私はその辺りを医師に尋ねてみた。

「文章全体から彼が心に抱えていたものが覗えましたが、最後の辺りを読むま
では特に自殺するほど精神状態が追い込まれていたようには見えませんでした。
専門家からみて彼の様子はどう感じられましたか?」
「先ほど御遺族からの承諾を得ましたので、ある程度はお答えできますが、そ
れでも話せないことが多いことは了承してください。彼が私の所にやってくる
ようになったのはこの数年のことです。その時から先日まで精神的には驚くほ
ど安定していましたよ。長く付き合ってみて初めて内に抱えるものがやや特殊
なことがわかる程度で、社会的に問題となるようなところは表には現れなかった
です。ただ時々悪夢に魘されるようで、その翌日は興奮と不安が入り混じってい
ましたね……」
「自殺直前にも変わった様子は見られなかったのでしょうか?」
「ええ、その数日前に来院した時も冗談をいいあったくらいで、私も正直予想外
の出来事でした……」
  
 私が次の質問を考えていると、医師の方からこんなことを話しかけてきた。
「ただし、日記には人と向かいあう時とは異なる彼がいたようです。葬儀後に
御遺族から、亡くなるまで彼がつけていた日記を見せていただきました。御覧に
なりますか?」
「読んでも構わないのですか?」
「はい、それが御遺族の希望ですので」

 私は医師から手渡された日記をその場で読み始めた。大学ノート三冊に日々
の出来事、それについての自分の思いが事細かに記されていた。人生の終わり
に近づくにつれて、偏執的とも言える描写が増え、所々字の震えが見られるよ
うになっていった。夢を見た翌日の日記は、夢の真実が誰にも理解されない怒
りと、その原因となっている証拠の少なさへの嘆きが悲痛な字体で綴られてい
た。

 その中に私が興味を持ったことがあった。青碧色の円錐状の石についての記
述だった。彼はその石を入念に調査すれば真実が明らかになると繰り返し述べ
ていた。彼は石を古墳から見つけたと書いていた。それは自殺する二年前の日
付だった。

「先生、この石が問題となったようですが、御覧になられたことは?」
 それに対する彼の答えは否だった。彼だけではなく御遺族の誰も見た者はい
ないらしかった。
 長くなるのでこれ以上は割愛させてもらいたい。医師の話を纏めると、彼は
縋りたいものの喪失により、自らその創造にとりかかり、それを維持するため
にかなりの無理をしていたということのようだった。

 私は二時間ばかりの後、その日の宿に帰り眠りについた。
 夜半、私はふと目を覚ました。室内は就寝時よりもずっと明るかった。私は
ベッドから身を起こすとカーテンを開けて外を見た。既に雪が全てを白く覆い
尽くしていた。その瞬間、私の脳裏をよぎったのは、雪に覆われた古墳を掘り
かえしている自分の姿だった。カーテンを閉めて再びベッドに身を横たえたが、
湧きあがる興奮と不安が眠りに落ちることをなかなか許してはくれなかった。

 翌朝、私は精神科医を訪ねた。その理由は、前日に彼の車庫に黒いスポーツ
カーと並んで四輪駆動車が停まっているのを見ていたからだった。
 適当な理由をつけて車を借りたいという私に、この雪で外出の予定は立てて
いないので自由に使って構わないとの返事を医師はしてくれた。私は彼に感謝
し、返却は夕方遅くになると告げながら車に乗りこんだ。

 その後、必要と思われる道具を買いこみ、隣町へと抜ける道を走る私がいた。
その道の途中に未舗装の山道の入り口が有り、そこから数分走った所に古くて
崩れかけた古墳が幾つかあるのを私は確認していた。山道の入り口付近に畑が
僅かにあるものの、この時期、まして雪の積もる日に人が来ることは考えられ
なかった。私の行おうとしていることにとって、そこほど最適の地はないよう
に思えた。
 
 山道に積もる雪は純白で誰にも美しさを汚されてはいなかった。私は予想通
りの展開にほっとすると同時に、車のタイヤ痕をいぶかしむ者がいなければよ
いがと不安になりながら道の奥へと進んでいった。
 道の脇の崖の抉れた所に私は車を停めた。急いでスコップを取りだし、長靴
に履きかえると一番奥の古墳へ向かい、そこにスコップを突き刺した。
 今思えば何故そんなことをしたのか自分でも不思議になる。どう考えても許
される行為ではない。だがその時の私は真実を確定したくてどうかしていたの
だと思う。
 
 食事を摂ることもせず、何時間もただもくもくとスコップを振るい続け、小
さくなる古墳の横には別の盛り土が出来あがっていた。だが目的の物、青碧の
円錐状の石は見つからなかった。私は何時の間にか笑っていた。精神的に正常
とは言い難い人物の文章に振りまわされている自分が、どうしようもなく馬鹿
に思えたためだった。

 日が落ちる前に後始末をする、その限界の時間はとっくに過ぎていた。私は
溜息を吐き、土をすくっては元に戻し始めた。疲労が急激に襲ってきた。もう
帰ろうかと思いながら、私は端の塊をすくって投げた。泥の塊は落ちると幾つ
かに割れた。私は次のをすくいかけたが、何かが気になってその塊をよく見て
みた。泥とは違う物があるのに気づいた。それこそ私が今日一日を費やした目
的の物だった。

 青碧色をしていたそれを拾い上げた時、私は思わず叫び声をあげ、直後周囲
を見渡したが誰もいるはずはなかった。私は手の中のそれをじっと見つめた。
泥にまみれていても、表面に刻まれた文字らしきものや底部の黒い部分がはっ
きりと確認できた。細部まで自殺した柏木氏の残した日記に書かれている通り
の石を発見し、少なくとも氏の日記が妄想ではなく、ある部分には真実がある
とわかったことで私は深い感慨に浸っていた。

 手早く後始末を済ませると私はそこを後にし、車を返しに医師の家に向かっ
た。ゆっくりと車を走らせていたが、その間に、先ほど感じた思いが全く無意
味なものになるかもしれないと気がついた私の胸中は穏やかではなかった。
 確かに氏の残した言葉通りに石は見つけることが出来た。だが、それが彼の
日記、日頃の言動の真実性を保証することには結びつかない。彼はただある時
変わった石を崩れかけた古墳の側で見つけ、自分が納得できる理由を己が内で
作り上げたかもしれないのだ。いや、彼の状態ならそれが自然だろう。
 驚きと喜びは激しい徒労感に変わり、私は次第に膨れ上がってくる後悔の念
を必死に抑えながら医師の車庫に車を滑り込ませた。

 居間に通されると、私は極力話を暈してその日一日の事を医師に話した。話
が問題の石発見の件にさしかかったので、彼に私が発見した青碧色の円錐状の
石を見せながらこう話した。 

「彼は山を散策して古墳を調べるうちに、おそらく崩れた古墳から見つけたこ
れを見て話を勝手に脳内で作り上げていったのでしょう。彼が日記に書いてい
ましたね? 青緑色の円錐に白く文字が彫り込まれ、底部に黒い石がはめ込ま
れていると。実はよく古墳とその側で見つかるありふれた物だったのかもしれ
ませんね」
 医師はじっと私を観察しているような目で見ていた。やがて、静かに口を開
くと私に言った。

「確かに彼の日記は狂気じみた部分はありましたが、それでも物の描写自体は
極めて正確でした。塚原さん、ここを読んでみてください。青碧色の円錐とは書
いてありますが、文字の事も底部の異なる石のことも全くふれられていません
が……」

 私はひったくるように日記を受け取ると目を通した。そこには確かに書いて
あると私が思っていた文字と黒い石のことは一言も書かれてはいなかった。で
は何故私は探索の時文字と石のことを知っていたのだろうか? 私はただ、医
師の顔と日記とを交互に見ることしかできなかった。
 宿に帰ろうと玄関を出た所で医師はお互い黙っていましょうと私に言った。
私も無論同意見だった。

 宿に帰ると私はその日一日の出来事を考えていた。石が見つからなければ、
柏木氏の妄想で済ますことができた。だが、石は彼の残した言葉通りに見つか
った。その意味では彼の言うことにも注意を払う必要があるだろう。しかし、
何故私が石の細部にわたって知っていたのか、或いは思いこんでいたのかの理
由はどう説明すればよいのだろうか。何処かで石のことを詳しく説明してある
物を読んでいたのだろうか。記憶と資料を必死に漁ってみたが、何処からもそ
ういった物は出ては来なかった。夜も遅くなっていたので考えるのは止めて、
翌日に備えて眠ることにした。

 夢を見た。辺り一面ススキの生える野原に私が立っていた。集落があり、古
代の装束を身に纏った人々がいた。老人と私が話をしていた。昼間見た古墳が
有ったが、綺麗に整えられた斜面には一本の草も生えてはいなかった。老人が
私に首飾りをかけてくれた。私が見ると、それは昼に見つけたあの石だった。
そして場面が突如として切り替わり、生きたままの私が石棺の中に身を横たえ
た。蓋が閉じられ、光と音が失われた。

 嫌な夢は私がそこで目覚めたことで終わりを告げた。柏木氏の遺書と酷似し
た内容に苦笑するしかなかった。影響を受けたのは間違いなく、石の詳細につ
いても何処かで見たものに違いないと私は思った。

 翌日も私は取材を続けた。最初の事件から数年後に南の海沿いの町で漁師達
に目撃されたという半透明の生物について調べてみた。以下、漁師達の話を思
い起こしてみる。

「あがあなもんは見たことがねえ。なんか関係あるに違えなかろう」
「ちらっと見ただけじゃが、鯨みてえにも見えたのう」
 だいたいこんな感じだったが、組合長の話はやや違っていた。
「たぶんスナメリでしょう。私もずっと昔に一度白に近い色のものを見たこと
があります。皆が見たと言う時期の海の色だと、なんともぼんやりとした不気
味な感じに見えるはずですな」
 これについては子供の頃から漁をしてきた組合長の話が真実のように私には
思えた。見なれない物を見た時に人が感じる不安と、当時まだ地元の人間は覚
えていた事件の記憶とが瞬時に結びついて作り上げたものだろう。これについ
てはこれ以上調べる必要はないと判断した。これで主だった取材は終わりとな
った。

 その日の午後、私は世話になった方々に御礼をのべて帰路についた。バスに
揺られる私の耳に「ケリ・リ―」という鳴声が微かに聞こえた。なんの鳴声だ
ろうと私は外を見た。窓の外には特にそれらしき生き物は見えないのでふと空
を見上げてみると大きな鳥が舞っていたが、道が曲がったためにすぐに見えなく
なった。鳴声はそれっきり聞こえず、その正体はわからなかった。

 帰宅後すぐに纏めにかかったが、未だに面白おかしく話す者や何かに怯えて
いる者、御遺族のことを思うと、初日の電車の中で読んだ当時の資料と同じく
当り障りのない事実のみ書くか、根拠の無い空想話しか書けそうにないとわか
った。私は前者を選んだ。

 私が書いた記事は結果的に誌面となることはなかった。挫折した男が束の間
得た幸福な時を、合理的に理由付けるにはやや困難な事件のために奪われ、そ
の結果精神を病んで十数年後に自殺した。これでは雑誌の趣旨に合わせるにも
無理があると編集部が判断したためだった。私は彼の日記によって発見した石
のことは編集部の誰にも話さず、胸の内に封印した。

 私は暫くして雑誌社の仕事を辞めた。時を同じくして妻の父がなくなり、私
は妻と共に家業の農業を継ぐことにした。
 
 それから長い時が過ぎた。その間、私は適当な理由をつけては古墳のあるあ
の町に何度も出かけた。電車からバスに乗り換え、片時も忘れない山並が見え
はじめると私の胸は早鐘のように鳴り、心の底から満ち足りた感覚を味わえる
のだ。義母は高齢で先は長くない。夫婦だけになったら、いや、私一人でも構
わない。私はあの町に住むつもりだ。そここそが私の環るべき地なのだから。
理由は無い。ただ強くそう感じるのだ。

                  古墳の主  完  
       
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             (C)Kashiwagi 2005