香積寺門徒推進員 釈感悟 今年のご正忌報恩講は神石組の法友会、推進員の江村さんのお誘いで参拝しました。
連研に期待 中組の組会に出席しました。推進員の養成連研へ各寺1名以上の参加が決まりました。スタッフとして関わるお寺さんの意識も異なり大変だと思う……推進員として連研について、挫折しないで連研を終えて、中央教習を受けて欲しいと進言しました。2005.4.23。初回の開催でABC三班に分けられた。会所が光福寺から辻之坊に変更された。住職から聖典は額に押し頂いて開くことを教わり、日ごろ何気なくしている事が知っているようで、知らないことに気付かされた。本願寺派の正しい焼香の仕方とか念珠の持ち方等色々勉強が出来ると意欲的な話が出ました。真宗門徒とは朝ご本尊に手を合わせるご本尊中心の家庭の人を言います。連研は基礎です。お勤め、作法お内陣の給仕など習います。真宗のお寺は、強化、布教、伝道するところで、聞法の道場ともいいます。
2007.1.20
連研に参加して
私は中組の連研に参加して2年になろうとしています。この間、10回の法座に出席し連研ノートの「問い」に参加者と共に担当住職の助言を得ながら話し合いを行い浄土真宗の教え、考え方についての知識を得てきました。何故知識かというと宗教では当然、信心を得るものであろうと思いますが私の身についているのは信心ではなく知識だけではないかと思うからです。日々の生活の中において阿弥陀如来の願いに思いが行かない私、たのむ気持ちの起きない私、このような私では到底信心を得たとは言われないと思うからです。自分自身がどうしようもない問題にぶつからない限り阿弥陀如来の願いがわからないのではないかと思う。その昔学識も浅かったといわれる妙好人はいかにして信心を得たのであろうかとも思う。しかし、いくら考えても浄土真宗では修業はないし特別のことはないのだから「聞いて、考え、話す」ことにしか方法はないのではないだろうか。今後は出来る限り教えを生活の中に感じとるようにしていきたいと思う。この考え方は浄土真宗の宗旨に沿っているかどうかはよくわかりませんが私が連研に参加して感じたことの一端です。 |