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平成28年8月29日更新

国指定重要無形民俗文化財「備中神楽」

岡山県神社庁神楽部所属 神光社神楽社中

名前「ハチ」 種類「柴犬」 年齢「4歳の独身」 特技「昼寝」 

備中神楽とは

 岡山県南西部(備中地方)に伝わる民俗芸能で、大別すれば「宮神楽」と「荒神神楽」の2種類があります。

 「宮神楽」は郷(ゴウ)的な比較的広範囲を領く(ウスハク又はウシハク)「氏神様」の毎年行われる例大祭(その多くは秋季例大祭)に奉納される神楽のことを言います。この場合の土地の人々は「氏子(ウジコ)」と言います。
 この時は通常、①榊舞 ②導き・猿田彦の命の舞い ③国譲りの能 ④八重垣の能の順序で奉納します。

 「荒神神楽」は小単位の集落に祀られている「産土荒神社(集落毎の先祖神)」の3年とか7年・13年毎に行われる「荒神社式年祭」に奉納される神楽を言います。この場合は「産子(ウブコ)」と言い、呼び名が異なります。
 この時は、白蓋行事・岩戸開きの能・五行・吉備津・お田植え・玉藻の前などの中から産子さんの希望で奉納します。



備中神楽の特徴

 備中地方も他の地方と同じように古くから「祈祷」や「託宣」を主体とした、「神楽」が行われていましたが、今から約210年前成羽の国学者「西林国橋(1764~1828)」が「出雲神話」「古事記」「日本書紀」「万葉集」などを題材に「能」「狂言」「歌舞伎」などを取り入れ「天の岩戸開き」「八重垣の能(大蛇退治)」「国譲りの能」を劇風に「神能三曲」を創作しました、その演劇性の高さが人気を呼んでこの地方に根付き現在に至っています。

 特筆すべきは、それぞれ登場する神々が「自分はどういう神で、今ここに何のため現れこれから何をする」などの台詞が多くあること、また神々の間でのやり取り(問答)も多く、それぞれの場面に応じて「五・七・五・七・七」の神歌を詠じます、舞の中にも「喜怒哀楽」が目まぐるしく展開され、観客を魅了する「芸能要素」に富んだ岡山県を代表する民俗芸能です。昭和54年に国の重要無形民俗文化財の指定を受け現在に至っています。



日本神話と備中神楽

1、この世界に最初に出現された神は「天御中主(アメミナカヌシ)の神」、次に高御産巣日(タカミムスビ)の神、神産巣日(カムムスビ)の神、この三神は現実の姿形を隠して現しませんでした。

 次にご出現の神は宇摩志阿斯訶備比古遅(ウマシアシカビヒコジ)の神、天の常立(アメノトコタチ)の神、がご出現され形をお隠しになりました、この五神は特別な天の神様と言われています。

   ”天地の開き始めは御産巣日の、
                神の勇し聖なるもの!!”



2、続いて国の常立(クニノトコタチ)の神、豊雲(トヨクモ)の神、宇比地邇(ウヒジニ)須比智邇(スヒジニ)の男女神、角杙(ツノグイ)活杙(イクグイ)の男女神、意富斗能地(オオトノジ)大斗乃弁(オオトノベ)の男女神、於母陀流(オモダル)阿夜訶志古泥(アヤカシコネ)の男女神が出現、七番目に伊耶那岐(イザナキ)伊耶那美(イザナミ)の男女神、計七組の神がが誕生されました、この神達が神代七代(ナナヨ)の神と言われています。

   ”国常や立の命を始めにて、
                国は七代の御世の始まり!!”


3、伊耶那岐・伊耶那美の神が矛で海水をかき回し矛の先から滴る海水が積もって出来たのが「淤能碁呂島」です。二神はその島にお降りになって、大きな柱を立て、大きな御殿を建てられました。

   ”伊耶那岐や伊耶那美の代の矛の露
                国と成りては幾代久しき!!”

  ”命たち淤能碁呂島を生み給い
                国の御柱建て始めにけり!!”


4、(中略)更にこの二神は、淡路島・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・秋津島(本州)をお産みになった、これが大八州です。


5、(中略)伊耶那美の神が黄泉(ヨミ)の国へお隠れの後、(中略)伊耶那岐の神が禊(ミソギ)をして左目を洗われた時に出現された神が「天照(アマテラス)大神(オオカミ)」、右目を洗われた時に出現されたのが「月読(ツキヨミ)の神」、鼻を洗われた時に出現されたのが「建速素戔鳴(タケハヤスサノオ)の神」。素戔鳴の神が多くの乱暴をされたことを怒られた姉「天照大神」が天の岩戸を閉じられて、この世が真っ暗闇になりました。


6、ここからが備中神楽の始まり「天の岩戸開きの能」の場面となります。(神楽の内容は備中神楽の演目をご参照下さい)


7、岩戸が開けられ元の明るさを取り戻しましたが、一方高天原から遠島され出雲の国(葦原の瑞穂の国、又は葦原の中津国)へ着かれた素戔鳴の神は、そこで爺と婆に遇いました、ここからが「八重垣の能」です。(神楽の内容は備中神楽の演目をご参照下さい)


8、素戔鳴の神は「大蛇」を退治して奇稲田姫との間に多くの御子が誕生されました(記紀では、因幡の白兎などの神話がありますが、備中神楽には取り沙汰されていません)。その子孫に「大国主の命」があり出雲の国を治めるようになりました。

 その頃高天原では天照大神のお言葉で、「葦原の瑞穂の国(アシハラノミズホノクニ)は我が御子の正勝吾勝勝速日天の忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)の命の治めあそばすべき国である」という叡慮により、高天原より「国譲り」の神勅を受けた勅使が天下るようになったのです。

 本来の国譲りの能はこの場面から始まりますが、今はこの前段は殆ど省略されいます。

 一番目の勅使「天菩比(アメホヒ)の命」は、大国主の命があっさり「国は譲る」という回答をしたため、高天原に勇んで帰天しました。

 ところが高天原の天の忍穂耳の命は、「葦原の瑞穂の国が未だ国土平定が整っていない」ことを理由に降臨を見合わされました、その後高天原では天の忍穂耳の命の御子皇孫三代天津彦火瓊々杵(アマツヒコホニニギ)の命が誕生され「この君を以って葦原の国を治めろ」という叡慮により再び勅使が天下って来るようになりました。、

 二番目の勅使「武夷鳥(タケヒナドリ)の命」は、大国主の命の家臣となり、名も「稲脊脛(イナシハギ)の命」と改名し、主人大国主の命の御心を和めようとし、高天原には帰天しませんでした。

 三番目の勅使「天若彦(アメワカヒコ)の命」は、立派な麻迦古弓と副箭(ソエヤ)を持たされ天下って来ましたが、大国主の命の娘「下照姫」と契りしてこの神も帰天しませんでた。

 四番目の勅使は「雉子名鳴女(キジシナナキメ)」という七世の雉鳥(ナナセノキジトリ)が遣わされました、この雉鳥が庭先の桂の木から「イチョク!イチョク!(遺勅に意)」と鳴くのを見て、不信に思った天若彦の命の射る箭により射殺されました、その箭が高天原に届き、「はて?訝しやな、血塗りに染んだ副箭、只今この所に射返せしは、おおこれは天若彦に遣わせし箭なり、今射返せしは邪心あるか、又大国主の命に戦いしものなるか、この箭にて証を顕せ」と射返されました、天若彦の命はこの返し矢が胸先に命中して斃死(ヘイシ)しました。

 そして次に五番目の勅使「経津主(フツヌシ)の命、武甕槌(タケミカズチ)の命」の両神が
、天下ることになります。ここからが現在の「国譲りの能」の始まりです(神楽の内容は備中神楽の演目をご参照下さい)


9、国譲りが成立し、いよいよ「天孫降臨」となります、この時の様子が「白蓋神事」の綾笠の根源で唱えられています、

”さってそもそも綾笠の根源を尋ね奉るに、古高御産巣日の大神、真床王の不須麻を持ちて、皇孫三代天津彦火瓊瓊杵の命をおうて、天下り座し坐す天の磐座を離ちて、天の八重雲を稜威の道別きに道別きて、日向の国はその高千穂の峰に、天下らしむすでにして皇孫出でます形は、即ち串火二上の天の浮橋より浮きじまります、平に正して曽志のむなくに下をからまき通り、わだの長屋や笠紗の御崎に至り座し坐す、神の教えの綾笠を頭に頂き・・・・・!!”


地上には一柱の神が八街に居て,高千穂から伊勢の狭長田、五十鈴川の川上まで案内しました、この神が「猿田彦の神」です。

備中神楽では順序が異なるかも知れませんが神事舞を除き、天孫降臨のときに諸神を導いたということから、まず最初に「猿田彦の命の舞い」が舞われることになっています。









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備中神楽の演目

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